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□■□ プラネタリウムインヒズルーム □■□

 今日は泊まると約束したときに、古泉が妙にそわそわした様子だったことに俺はちゃんと気づいていた。
 気づいてはいたが、どういう理由かとまでは追求しなかった。行ってみればわかるだろうと、どこかで達観していたのかもしれん。この一年ばかり、非常識な奴らと非常識なできごとにふりまわされてきたもんだから、相当のことでは驚かないだけの耐性がついていた。
 しかしながら、放課後、見慣れた古泉の部屋に足を踏み入れたときに、部屋の真ん中のテーブルの上に誇らしげに置かれていた銀色の物体は、俺の予想の範囲をわずかにはみ出していた。
「……なんだこれ」
「室内プラネタリウム機ですよ」
 古泉はその単語をひどく大切なもののように発音した。幼い頃からの夢や憧れがいっぱいに詰まっているような響き、といったらいいだろうか。さすがの俺もひとことでなんだそりゃとは切り捨てられない雰囲気だった。
 俺の微妙な反応にまったく気づきもせずに、古泉は嬉しそうに説明をした。
「これは人間の目で見ることのできる数千個を軽く超えた、一万もの星を投影できる機械なんです。ランダムで星を流したり、日周運動を模して全天を回転させることもできるんですよ」
 へえ、としか俺は応えられなかった。俺にはどうでもいいことだが、古泉にとってはそうではないのだから水を差しちゃだめだろう。
「さっそく使ってみましょう」
 床に乱雑に鞄を置くと、服も着替えず、俺に茶を出そうなんて殊勝な真似もせず(これは今日に限った話じゃない)、古泉はテーブルの上の銀色の機械に手をのばした。
「電源入れんのこれが初めてなのか?」
 思わず尋ねたのは、古泉の手が妙におぼつかない動きを見せたからだ。
「せっかくですから、最初はあなたと一緒に見たいと考えたのです」
 そんな買ったばかりの新車の助手席に誰を乗せるかみたいなことを言われても俺も困るんだが。
「そうか、じゃあ、がんばれ」
 仕方なくそう言うと、古泉は真剣な面持ちでうなずいた。銀色の物体を手にしてためつすがめつ眺め、ようやく電源を見つけたらしく、小さなつまみをパチリとやった。
 しかし何も起こらない。
「……ああ、そうだ、部屋を暗くしなければ何も見えるはずがありませんね」
 ようやく気づいた様子で古泉は立ち上がった。この部屋の照明にはリモコンなんて便利なものはついてない。まだ外の明るい時間だったから、まずカーテンをきっちり閉めて、それから天井の蛍光灯を部屋の入り口のスイッチで消した。
「……なんだこれ」
「……ええと、月、です」
 古泉の声にもいまひとつ自信がなかったのは、天井から壁の上部にわたって丸く浮かび上がった物体が、あまりにぼんやりとしていたからだ。
「月と星空の原板がデフォルトで用意されていまして、昨日とりあえず月のほうをセットしてみたのですが」
 頭上に巨大な満月、というのはシチュエーションとしては悪くないはずだと思うんだが、なぜかこうピンと来ない。床に座ってるのが悪いのかと、ごろりと横になってみたが、やっぱりだめだ。
「星空のほうがいいんじゃないのか」
「……そうですね」
 どことなくしょんぼりした声でつぶやき、古泉はもたもたと原板を取り替えようとしたが、手元が暗すぎてよくわからなかったらしい。小さく毒づきながら立ち上がり、また明かりをつけた。
 マニュアルまで取り出してきて、じっくり熟読しながら原板を取り替える様は、なんというか微妙に格好悪い。しかしなんとか交換を終え、ほっとした様子でセットすると、満面の笑みになって古泉は明かりを消した。
 さあ今度こそ感嘆の声を上げようと心の準備までしていたのだったが、俺の口から漏れたのは低い唸りだけだった。
 さっきの月よりはいいような気がする。淡い光の濃淡が天井いっぱいに広がって、どことなくきれいだ。しかしやはり全体がぼんやりとして、天の川だと思われる光の帯も形が判然としない。
「焦点合ってないんじゃないのか」
 俺が指摘すると、古泉ははっとした様子だった。
「そうだ、それですよ。マニュアルに確かそんな説明が…あっ、くそ」
 マニュアルを読むためには電気をつけなきゃいけない。古泉の最後の毒づきはそのためだろう。焦った様子で明かりをつけて、またテーブルのところへ戻ってきて、真剣にマニュアルを読みだした。
「てっぺんのつまみを回す…つまみ、これかな」
 ぶつぶつ言いながらあちこちいじるが、結果を確かめるにはいちいち電気を消さないといけないのがネックだ。古泉は結局正解を見つけるまでに、テーブルと電気のスイッチのあいだをもう二往復しなければならなかった。
「やった、やりました!」
 嬉しそうな声が上がった。ピンボケだった星空は、見違えるように鮮やかな光の点の集合に姿を変えていた。
 なるほどこれは、そこそこ綺麗かもしれない。少なくとも先ほどまでの状態と比べれば。しかし感動するほどのものではないし、ムーディーかと訊かれると返事に困る。なによりもこの状態に持ってくるまでが長すぎて無駄に気持ちが疲れた。
 俺は床に転がったままで星空を見上げた。
「……ゆっくり回転してんのか」
「ええ、そうです。八分で全天が一周することになっているはずです。流れ星機能もオンにしてあるはずなんですが……」
「見当たらんな」
「おかしいな…」
 古泉はまた明かりをつけてマニュアルを読み、本体のスイッチをあちこち動かしては難しい顔をした。
「これでいいはずだと思うんですけど、このNって表示はなんでしょうね。北、かな。でもどうしてここにそんな表示が……」
 悩ましげにつぶやきつつ、古泉はまた明かりを消した。ゆっくりゆっくりと回転する星々のあいだに、やはり流星らしきものは見つけられない。
「ランダムで流れるらしいので、ずっと目を離さずにいればきっとどこかに…」
 古泉も少し離れた床に横になった。全天を逃さず見つめるためにはその姿勢が一番いい。俺は流星を見つけようとがんばって目を開いていたが、星が少しずつ回転する速度がどうにも心地よい眠気を誘い、俺はそれに逆らうことができなかった。
「あ、今流れましたよ、見ましたか! …って、あれ?」
 古泉が遠くで何かを言っている気がしたが、俺はもうすやすやと眠りの中に落ち込んでいて、それからのことなんかまるで知ったことじゃなかった。
 ロマンティックかどうかはさておき、安眠効果だけは抜群そうな逸品だった。


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