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1>10の不条理

 まったくもって、珍しくもなんともない。
 そう心の中で言ったつもりが、気がつくと口に出していたらしい。チェスボードをはさんで机の向かい側に座っていた古泉一樹はふしぎそうな目を上げた。
「なにがでしょうか」
 尋ねたくなる気持ちはわかる。なぜならさきほど口からぽろりと出たのは、複雑怪奇に長たらしく、かつすべてが俺の心の中で展開された思考の紆余曲折の果ての最終結論の部分だったからだ。いくら古泉が他人の思考を、まるで本当に超能力でも使っているんじゃないかと疑うくらいに正確に察する能力の持ち主であっても、さすがにこればかりは正しく読み取ることはできなかっただろうというかそうあっさりと読まれては困る。
「なんでもない」
 俺はしかめつらをしながら白のポーンをひとマス進めた。
「なんでもないという顔ではありませんが」
 嫌味なくらいに整った隙のない微笑を古泉は浮かべた。その目が探る意図を隠そうともせずに俺を見ている。俺は今どんな顔をしているんだろうか、とりあえず古泉の視線はむやみにねちっこく、煩わしいことこの上ない。
 そうだよな、こいつはけっこうしつこい男なんだった。おまけに妙なところで物覚えがよく、俺がすっかり忘れた頃になって古い話を持ち出してきたりする。鋭いところがあるから嘘やごまかしに騙されない。
 そう考えるとなかなか嫌な奴だなお前。敵にはまわしたくないタイプだ。
 古泉は口角を上げて人の悪そうな笑みを浮かべた。
「それは光栄な評価というものですね。だったらあっさり話してしまいませんか」
 いやだね。俺のささやかなプライドにかけてそれは却下だ。
「プライドに関わるようなお話なんですか」
 そんなたいそうなもんじゃないがな。
 実際、冷静に考えてみればつまらないことだった。そもそものたわけた思考の始まりは、黒のナイトに手をかけた古泉の形のよい指先をぼんやり見ていたことに起因する。
 顔がきれいな奴はこんなところまできれいにできているものなんだなと、俺はいささか場違いにも感心してしまっていたのだ。爪なんか乙女チックな桜色で、磨いているわけはないのにつやつやとして繊細だ。手の造型自体が今すぐにでもデパートのチラシに採用されそうな完璧な形をしている。お前バイトで手タレでもやったらどうだ、閉鎖空間で戦ってるよりは絶対に精神衛生上いいに違いないぞ。まあツラのほうもいいから顔出しだってかまわんだろうがな。癪な話だ。
 それはさておき、だ。
 古泉の無駄に整った手とか顔とかを眺めているうちに、俺の頭の中ではどんどん連想が広がっていった。だいたいこのSOS団とかいうわけのわからん団の面々は、なぜかそろいもそろって顔がいい。ハルヒは団員を顔で選んじゃないかと疑いたくなるくらいだが、それだと不本意ながら俺がここに混ざっていることの説明がつかない。自分で言うのはなんだが俺の顔は平凡極まりない。
 少しはやさぐれたくもなろうというものだ。
 しかし逆に考えてみれば、俺の周囲には美男美女があふれすぎていて、その希少価値は大暴落、バナナと一緒にたたき売られても文句は言えない程度にありふれたものになり果ててしまっているとも言える。
 そうだ。まったくもって、珍しくもなんともないのだ。
「悪いが古泉、おまえなんか平凡で普通で、全然特別なんかじゃないんだぞってことをだな、俺は言いたかったわけだ」
 開き直って要点を簡潔に述べると、古泉はぱちぱちと瞬きをした。それから少しだけ傷ついた顔をすると、声をひそめて言った。
「確かに僕はこの部屋のなかにいると自分の無力をひしひしと感じずにはいられませんが、これでも世界に十人ほどしかいない、ある種の特殊な能力の持ち主ではあるんですよ」
 知ってるよ。前に見せてもらったことがあるじゃないか。あんなショッキングなできごとを忘れられるほど俺の頭はまだ耄碌しちゃいない。そんなことより問題は。
「そうじゃないだろ」
 と思わず俺は言っていた。
「世界に十人なんてたいした数じゃないだろ。それよりここにいるSOS団の副団長の古泉一樹は世界にひとりだろ。そっちのほうがよっぽど特別じゃないか」
 ずいぶん恥ずかしいことを口にしてしまったと、後になってから思ったのだが遅かった。その言葉はばっちり古泉の耳に届き、多分そのまますとんと胸の奥まで落ちてとどまった。そんな音が聞こえた気がした。
 あえて言い訳をすると、俺には深い意図なんか何ひとつなかったのだ。平凡で普通で特別じゃないのにオンリーワンだっていうのも妙に矛盾した発言だ。わかってる。でも間違ってはいないだろう。俺は事実をそのまま口にしただけだ。
 だから、頼むから、そんな嬉しそうな顔をするのをやめてくれ。

[20070807]