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奇跡と呼ぶにはささやかな

 この部屋にいると、気がつくと一種類の言葉しか口にしていないことがある。
 そもそもわたし、すなわち長門有希という名のヒューマノイドインターフェースは、寡黙なキャラクターとして設定されている。必要な言葉以外は一切口にしないため、彼らに会うまでは一日中ひとことも言葉を発しないこともしばしばだった。
 それなのに。
 涼宮ハルヒはむぞうさにわたしの髪を飾りのついたピンでとめ、「昨日見つけたんだけど、有希に似合うんじゃないかと思ってつい買っちゃったのよね。でも思ったとおり、すっごい可愛い。あたしってやっぱり天才なんじゃない? それ返さないでいいからね」と輝くように笑う。
 キョンと呼ばれる彼は部屋へやってくると、わたしの正体を知っていながら、「こんな暗い中で本読んでたら目を悪くするぞ」と言って明かりをつける。
 朝比奈みくるは「あの、これ、お口に合わないかもしれませんけど」と言って、彼女が昨日一生懸命選んだ新作のお茶を湯のみに入れて差し出す。
 古泉一樹はわたしの前に古びた本を置き、「よかったら読んでみてください」と言う。それは彼が子供の頃から大切にしている、お気に入りの一冊だ。
 わたしは彼らにこんなことをされる理由がない。わたしはここにいるだけで、すべてを見ているだけだ。
 言葉だってどうしても必要と思われるひとことしか口にしていない。
 しかしそれは本当に必要からしていることなのだろうか。社会的儀礼として奨励される行為ではあるが、仮にわたしが黙っていても、彼らは同じように行動するだろう。
 その言葉を口にする度、わたしのシナプスには奇妙なノイズが走る。それはあの空から降る小さく冷たい結晶を見上げているときに感じる何かに似ている。
 たった五文字の短い語句にどれほどの意味があるというのか。しかしそれのみを選択的に用いることが許されるこの環境は、ある種特異で、ひどく貴重なものなのだろう。
 ふしぎに胸の苦しい思いとともに、わたしは何度もその五文字を音にする。
 ありがとう。

[20071005]