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フェイク・ザ・カリー

 まあ正直言わせてもらうと、せっかくだらだらしていた日曜の昼に呼び出され、その用件が多少は同情できるものであったことを差っぴいたとしても、俺は相当に不機嫌だった。
 しかしながら、俺のために部屋のドアを開けた古泉の、隠しきれない憔悴した顔を見ると、あまり正面から文句を言うのも気の毒な気がしてきた。こいつにしても好きで俺に頼ったわけではあるまい。一人暮らしの雑然とした部屋にいきなり女子を呼びつけるのは気が引けるだろうし、こんなときに例の機関の面々とやらは手を貸してくれないらしい。こいつの親がどこでどうしているのか俺は知らないが、少なくとも電話一本で簡単に呼びつけられる場所にはいそうにない。
 そんなわけで俺の出番となったわけだ。クラスに仲のいい男友達ひとりいないらしい、病に倒れた哀れな古泉一樹宅に、とりあえずの食料を届けるといった重要なんだか使い走りなんだかよくわからないミッションを課せられて、たった今自転車で駆けつけてきたところだ。
「突然お呼びだてしてしまって…」
「まあいいから上がらせろ」
 長くなりそうだった口上を遮って俺は巨大なスーパーの袋を差し出した。頼まれたものを全部買ったらやたらと荷物が多くなったのだ。古泉にひとつ渡しても、まだ俺の手には別の袋が残る。
「いえ、それには及びません。あなたに風邪をうつすわけにはいきませんし」
「頼まれたって長居はせんから安心しろ。ちょっと暖をとりたいだけだ」
 この二月の寒空の下、数十分も自転車を走らせてんだからそりゃあ冷える。俺が本気で寒そうなのを見て取ったのか、古泉はためらった様子でその身をわずかに端に寄せた。物分りがよくて結構だ。
「じゃあ入るぞ」
 俺は古泉を押しのけるようにして部屋に足を踏み入れた。予想通り中はあたたかい。古泉はもともと寒がりなうえに、風邪で寝込んでいるとなったら余計に部屋の温度は上げているだろうと予測していた。
 玄関の扉を閉じてから、古泉は俺のうしろに困り顔をしてついてきた。
「おお」
 思わず声が漏れるほど、古泉の部屋は荒れ果てていた。ここがきれいに片付いているところなんか見たことがないが、いつにも増して、五割り増しくらいに散らかっている。
「まあいい、おまえは寝てろ」
 病人に片付けろというのも酷な話なので、俺はパジャマ姿の古泉をさっさとベッドに追いやった。とりあえずイオン飲料のでかいペットボトルとストローをその手に押し付ける。
「食欲は普通にあるって言ってたよな」
「ええ」
 おとなしくペットボトルを抱えて古泉は答えた。
「病院には昨日行って、薬はもらってきたのですが、単に家に食べるものが何もなくて。自分で買いに行くことができないほど具合が悪いわけではないのですが、ただ」
「ああ、いいからいいから」
 弁明は特に必要ない。コンビニまでたとえ徒歩五分の距離だったとしても、それを移動するのが面倒なときというのはあるし、ひとりきりで部屋で寝ていたら人恋しくもなる。電話一本で手助けが得られるとわかっている状況で、ふと気の迷い的に誰かに頼りたくなるのはおかしなことじゃないだろう。俺もそれを咎めるほど冷酷じゃない。
 珍しくも市内ふしぎ探索のない平和な日曜をこんな用事でつぶされて、面倒だと思う気持ちも確かにあるが、それと同時にこいつに頼れられるのが嬉しいと感じている血迷った部分が俺の心の中のどこかに確かに存在していて、むずがゆいんだか落ち着かないんだか、とにかく平静さをわずかに欠いた心持ちで俺は手持ちの荷物を机の上に置いた。
「……それは?」
「うちの母親が持ってけって言ったんだ。ほとんど残り物みたいなもんだが、まあ味は悪くないと思う。ただしだな」
 タッパーに入った手製の惣菜が数種類。俺が古泉の家へ行くといったら、半強制的に押し付けられたものだ。
「……病人に食わせるのにカレーはどうかと思ったんだが」
「カレー、ですか」
 古泉の声にわずかに笑みが含まれる。顔は最初っからスマイルが固定だから違いの判別が難しい。
 何を隠そう我が家の昼食のメニューはカレーだった。大量に作ったせいで、今晩もまだカレーだろう。しかしいくら余っているからといってそれまでタッパーに詰めなくてもいいと思うんだが。
「いえ、胃はまったく正常ですので、カレーでも問題ありませんよ」
 病人食の定番、おかゆでなくて悪かったな。しかしこれでもこのカレーは結構手間のかかっている母親の力作だ。市販のルーを使うんじゃなくて、スパイスから自分で選んでいろいろ工夫していた。隠し味にはこれがいいのよなんて言って、変わったものもいくつか入れていた。
 ということを思い出して、はたと俺はタッパーを取り出していた手を止めた。
 日曜だからすっかり忘れていたが、今日はなんの日だ。
「どうしました?」
 目ざとく俺の異変を認めて古泉が声をかけてくる。
「いや、なんでもない」
 俺は赤くなりかけた頬を隠してカレー入りのタッパーを机の上に置いた。どう考えても気にしすぎだ。ついでに俺が言わなきゃ古泉には絶対わからない。
 いくら今日が十四日だからといって、隠し味にチョコレートが入っているカレーを古泉に渡すことが、該当のイベントに適合する行為であるとは、俺は断じて認めないからな。

[20080223]