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本当も嘘もあるもんか

 サンタクロースを信じてた子供の頃ってのが俺にあったかどうかはさておいて、高校一年にもなると、彼女のいないクリスマスイブってのが寒風吹きすさぶ天候の特異日に思えてくるからふしぎだ。
 世界は昨日までときちんと地続きで、なんら特筆すべき異変などは起こっていない。学校では風邪が流行っているが、現在のところ俺はその被害をかろうじてまぬがれており、谷口のアホなどは盛大に寝込んでいたりもしたが、それも今は復帰している。そうなると今度は、デートの約束もないクリスマスなんかに元気でいて何の意味があると散々文句をたれてうるさいことこの上ないのだが、境遇としては同じ俺は全部を聞かないふりで流していた。別に彼女がほしくないとは言わないが、あんまりそういう気分じゃないんだな。
 夜になれば親の買ってきたケーキとチキンとピザかなんかで、小さなツリーに電飾をぶらさげてささやかにパーティーをする。それがここ数年来の我が家のクリスマスの過ごし方で、妹に合わせて多少子供っぽくアレンジされてはいるが、俺はそれが嫌いじゃなかった。
 そんなわけで何の準備もなく平々凡々と迎えた今年のクリスマスイブは、どんぴしゃ終業式で授業もなかった。午前の数時間のためにあの凶悪な坂道を上るのは正直しんどかったが、だからといって堂々とさぼれるほど強心臓ではない俺は、凍えるように寒い快晴の空の下を登校したというわけだ。
 終業式で校長の長い話を聞いて、教室に戻って担任を待つあいだ、俺はさしたる緊張感もなく、ぼんやりとすごしていた。そんなときだ。
「ねえ、校門のところに立っている人を見た?」
 ふいに後ろの席から話しかけられ、俺は少し驚いた。
 そこに座っているのは朝倉涼子だった。クラスの委員長でしっかり者の美人だ。誰とでも気さくに話すし面倒見がいいから俺も喋ったことはある。しかし特に仲がよくはなかったし、友達と呼べるほどのつきあいはない。
「校門のところ?」
 とりあえず尋ね返してみたところ、いわくありげな含み笑いが返ってきた。
「光陽園学院の制服を着た男の子よ。少し憂いを含んだ顔つきで、誰かを待っているみたい。背も高いし恰好いいから、女の子が騒ぎはじめているわ」
「へー……」
 俺にそれ以外の何が言えただろうか。美少女や美女が立っているというならまだ気にもなるが、男で、しかも恰好いいという。そんな奴に俺は用がないし、向こうも同じことだろう。
「そうかしら」
 ふふ、と笑って朝倉は目を細めた。
「昨日までと今日とが同じ未来につながっているなんて誰に約束できるかしら。確実に決められたものなんて何もないのよ。運命だってそう。きっと自分次第でどれだけでも変えていけるはず。だけど運命的な出会いというのは確かに存在しているわ。その人に出会うか出会わないかで、その先の未来が明確に塗り分けられてしまうような重大な分岐点があなたにだって必ずあるの。そういうものからは絶対、逃げられたりはしないのよ」
 俺はまじまじと朝倉を見つめた。長々と語られた言葉は一般的な意味においてさほど特異なものじゃない。日頃非常にシビアで現実的な様子の朝倉の発言にしては妙に夢見がちな気はするが、こいつもまだ高校一年の女子なんだと思えばぎりぎり許容範囲ではある。
 だがなぜそれを朝倉が俺に言わねばならんのか、はなはだ理解しづらい状況だ。
「……で?」
 もしや深い理由があるのかとさらなる発言を促してみたが、そこで朝倉はふとまじめな表情になり、じっと俺を見つめた。
「あなたにはきっと必要な人たちなのよ。あなたはそれを取り戻す権利がある。どうせ逃れることなどできないのだから、恐れず会いに行きなさい」
 ささやかれた言葉の意味がまるっきりわからなかった。どうしたんだ朝倉は。急に月の裏側からの電波でも受信したのか、未来予知の超能力でも手に入れたのか。
 俺はとっさに返す言葉を思いつかなかったし、何か言おうものならとんでもなく失礼な発言をしてしまいそうだった。ここは口をつぐんでおいて正解だったかもしれん。
 幸いにもその直後に教室には岡部が入ってきて、朝倉との奇妙な会話をつづけることはできなくなった。やれやれだ。

 彼女のいない寂しい奴ら同士で、谷口や国木田と一緒に帰ってもよかったのだが、なぜか気がつくと俺はひとりになっていた。というより、CDショップに寄って帰ろうという誘いをわざわざ断ってまで俺はひとりで帰ることを選んだ。
 朝倉の謎めいた言葉が気にかかっていたんだろうな、やっぱり。
 あの言い種では、校門のところに立っているとかいう美形は俺を待っていることになる。なんでだ。そんな知り合いに心当たりなんか全然ないぞ。これはあれか、俺が前世で助けてやった鶴が人間に転生して今になって恩を返しにきたとか、そういう話なのか。あいにく中二病にどっぷりつかるには二年ばかり歳を食いすぎているんだが。
 前世とまではいかなくても、自分でも気づかないうちに俺は何か善行をしたのかもしれん。あるいは逆に悪行をやらかしちまって、お礼参りに来られたか。
 いくら考えても思いつかないものは思いつかない。俺はあきらめて、慎重に正面玄関へ向かった。朝倉の言ってることがでたらめで、噂の主はすでにその場にいないなんて状況をうっすら期待していたのだが、残念ながら俺の予想は外れた。
 なるほど、これは確かに人目を惹くだろう。
 校門のところには男がひとり立っていた。軽く腕組みをした状態で背中を門柱に預け、帰宅する生徒のひとりひとりに視線を投げている。
 ちなみに光陽園の男子の制服ってのは黒の学ランなんだ。北高の紺色ベースの制服の中にいると異様に目立つ。もっともそいつが目立っているのは制服の色のせいばかりじゃない。どこかの安っぽいアイドルみたいな整った顔立ちと思索的な表情、スレンダーな長身。これは間違いなく女にもてるだろう。そんなことはさておき、やはり見覚えはない。
 誰だ?
 人を探している様子なのは明らかだったが、まだその対象が俺だとは信じられなかった。悪いことをしてるわけでもないのに俺はうつむきがちになり、鞄を固く握りしめ、足早にそこを通りすぎようとした。
「ああ」
 ふしぎなくらいによく通る、響きのいい声が聞こえてきたのはそのときだ。
「遅いお帰りでしたね。ずいぶん待ちましたよ」
 俺の足は勝手に止まった。逃れようがないのよ。朝倉の声がまた耳もとでささやかれた気がした。
「……おまえ、誰だ。俺になんの用だ」
 警戒で声が勝手に低くなった。男はそれをなだめるように、一見温和な微笑を浮かべた。背を浮かし、腕組みをやめて近づいてくる。
「そんなに警戒しないでください。あなたに危害を加えるつもりはありませんよ」
「じゃあなんだ」
「そうですね、まずは少し話をさせてもらいたいと思っています。このあとお時間があるようでしたら、一緒に食事などどうでしょうか」
「俺と?」
「あなたと」
 にこやかな男の表情は鉄壁で崩れない。裏に何か悪辣な目的を隠してるんじゃないかと疑いたくなるようなうさんくささだ。
 よりにもよって今日はクリスマスイブだ。
 かわいい女の子でも誘えばいいものを(それもこいつならおそらく選り取りみどりだろう。忌々しい!)、何が悲しくてこいつは俺なんかを誘うのか。
「物好きにも程があるだろう」
 思わず言わずにいられなかった。
「なんだってわざわざこんな日に、得体の知れない変な男とメシなんか食わにゃならんのだ。これがかわいい女の子とのデートだってんなら話は別だが、俺にはまったく得にならんじゃないか」
「おや」
 男は意外そうに目を見開いた。
「あなたがそんなことを気になさる方だとは思いませんでした。女性の同席をご希望でしたら、僕にはひとりばかり、とびきりの美少女のあてがありますが、多少気の強い方でして、今のあなたには刺激が強すぎるかもしれないと愚考いたします。今日の相手は僕ひとりで我慢してはいただけませんか」
 なんだろうな、一瞬背筋がぞっとした。「多少」気の強い美少女か。興味の惹かれる部分がないではないが、今はちょっと遠慮しておきたい。
「ひとつ訊きたい。おまえの希望が純粋にメシを食って喋ることだけなんだとして、なんで俺なんだ。悪いが俺はおまえのことなんか知らん。覚えてないだけでどこかで会ったことがあるのか?」
 至極まっとうな質問だろう。相手はそれを予想していたようだった。少しさびしそうな、しかしながら華やかさはまるで損なわれていない稀有な微笑とともにこう答えた。
「あなたの記憶の中にはなくても、僕の中にはあるんです。その話をすると長くなるので、まとまったお時間をいただけたらと思った次第です」
 その言葉の響きは真摯で、嘘をついているようには聞こえなかった。
 一方的に知られているだけなら俺につきあう義理はない。ないはずだ、と思うが、どうしてか俺の思考はこの誘いを断るという方向に向かおうとしない。最初からだ。気の進まない様子をつくろいながら、俺は最初から断ることなんか考えもしなかった。
(あなたはそれを取り戻す権利がある)
「……おまえ、名前は?」
 ようやく喉から声を押し出した。これを尋ねることはなかば以上、一緒に行くと返事をしているのと同じだと知っていた。
 うさんくさいハンサムは察しのいい男だった。整った目尻をやさしく眇め、しかしながらわずかな皮肉を唇に浮かべてこう言った。
「僕の名前を訊くのなら、かわりにあなたの名前も教えていただかなくては。愛称でも偽名でもない本当の名前ですよ」
 はあ?
 確かに俺にはキョンとかいうあまりありがたくない通称があるが、そんなものを初対面の相手に向かって名乗るはずがない。ましてや偽名てのはなんなんだ。
 俺はよほどわかりやすく怪訝な顔をしたのだろう。詰襟の男は初めて屈託のない笑い声を上げた。
「失礼、少々トラウマになっていたものですから。ではあなたを信頼して、こちらから名乗りましょう。僕の名前は古泉一樹。光陽園学院の一年です」
 名前までやけに格好つけたようなのは妙に忌々しいが、そんなのはこいつのせいじゃない。それより俺は、突然押しつけられた信義に応えねばならん。
 そんなわけで俺は口を開いた。
 特別格好いいというわけでもない、でも以前、壮大だと褒められたこともある俺の名前を、これといった心構えもなしに何気なく告げた。

[20090201]