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GAME i

 なんというかひどく屈辱的だった。
 俺が負けた相手は正確には長門であって古泉じゃない。なのになぜこんなに悔しいと感じるのかわけがわからなかった。
 長門が突然自主的に古泉に助力した理由なら昨日の放課後こっそり聞いた。わけのわからん話ではあったが、そういう理不尽さにはなれている。むしろ理不尽の権化みたいな団長さまがおとなしくしてくれてるだけで御の字だと思わなきゃならないくらいかもしれないな。
 しかしながら理由がわかればすっきりするってものでもなかった。長門と古泉が結託するのはなんだかこう、面白くない。
 だいたい古泉がゲームに異様に弱いのは今に始まった話ではなく、負けること自体が問題なのか、それともペナルティがつくのが問題なのか、そこのところもわからない。ペナルティさえなきゃいいってんなら、そんなものはいつ撤廃してもかまわないのだ。古泉はずいぶん本気でゲームに取り組むようになった。むしろあまり必死になられると痛々しいので、適度に手を抜いてくれたほうが落ち着くとわかった。だからもう賭をするのはやめにしてもいい、というのはあまりに勝手な意見だろうか。
 ただペナルティで何かを持ち寄るのは面白い。ほんの小さなものどもだが(ときにはものですらない)、ぽろりぽろりと陰から人となりみたいなものが伺い知れる。こちらが晒すことになるときはいくぶん落ち着かないが、まあそれも許容範囲だ。
 つまり、俺はけっこうこの長丁場のやりとりが気に入っていた。
 漫然と考えごとをしながら部室の扉を開けると、意外なことにそこには古泉しかいなかった。
「おや」
 ロッカーの扉を開けて今日のゲームを選んでいたらしい男は顔だけをこちらに向けて優雅に微笑んだ。その背後で白いカーテンが風をはらんで、なんともうるわしい絵画みたいな光景になったのが忌々しかった。
「ハルヒはちょっと遅れるそうだぞ。ほかは知らん」
「そうですか」
 あまり感心のなさそうな声で応え、古泉はまた目を積み上がったゲームの箱に向けた。俺は長机の上に鞄を置くとその隣に立った。
「あなたのIをください。Iラービュとでもささやいてみてはいかがですか。Iは単独だと主格ですから、あなたのIをくださいと言うのはつまりあなたをくださいというのと同じだと思っていいのでしょうか、ねえ」
「そらよ」
 歌うような声でくだらないことを話しかけてくるのを無視して手を突きだした。
「なんです?」
「見りゃわかるだろ、肩たたき券」
 セオリーどおりにチラシを切って、白紙の面にペンで文字をなぐり書いただけの代物だった。安っぽいことこのうえない。
「これがあなたのIなんですか?」
「無期限、回数制限なしって書いてあるだろ。つまりInfinityだ」
「なるほど、とんちですね」
 心底感心したふうに古泉はしげしげと受け取った紙切れを見つめた。俺としては以前の古泉のEquationに対抗して概念で攻めたつもりだったんだがな、そこのところの意図は果たして伝わったのかどうかさっぱりわからん反応だった。
 ただ古泉はひどく大切なものであるかのようにその紙切れを両手で支え、底知れない深みのある声でつぶやいた。
「あなたは僕に永遠をくださった」
 そのとき俺の胸にきざした感情をうまく説明するのは難しい。そんな大げさなことじゃないと弁明したい気持ちもあったが、その一方でどこか納得もしていた。このゲームはあと一ヵ月もたたないうちに終わる。ハルヒのわけのわからん力に振り回されて右往左往する日々だっていつかは終わる。
 それでも終わらないものというのがどこかにはある。必ずある。
 俺はそれを古泉にあげたかったんじゃないのか。
 古泉の目はいつのまにか俺を見ていたし、俺もそらしたりはしないでそれを見返していた。
 終わることをおそれて始めないのはひとつの優れたやり方だ。しかしそれとはまったく別の次元で永遠に失われることのないものがあるとするなら、それ以外のものは失われたってかまわない。一歩を踏み出すことも、踏み出さないことも、すべてが自由な裁量の範囲内で、どう転んだところでかまわない。
 それくらいの自由は俺たちにもある。
「あっ、あっ、遅くなりましたぁ!」
 勢いよく扉を開けてとびきりかわいい上級生が飛び込んできた。それから続けて長門が。俺と古泉は一緒に廊下に退避することにした。
 ふと見ると古泉の手はまだ俺の渡した肩たたき券を握ったままで、妙におかしさを誘った。
「早速使うか?」
「ああ、いえ、……そうですね」
 廊下の反対側の窓からの明かりが淡く古泉の胸もとを照らしている。その少しオレンジを帯びた光はハンサム顔をいろどるやわらかな微笑によく映えた。
「ではお言葉に甘えて、今日にでも」
 遠慮というものを知らない奴だと罵るのはやめておいた。なんとなく俺も嬉しかったからだ。
 階段のところからやけに攻撃的な足音が近づいてくるのはきっとハルヒだろう。朝比奈さんのお着替えはそろそろ終わる頃だろうか。
 まったくいつもどおりの日常だった。
 そりゃあもう、うんざりするくらいにな。

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[20120101]