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GAME ルール説明

「負けてしまいました」
 ひどく耳ざわりのいい甘い声で何の屈託もなくそう言い、かつ俺の目の前で微笑む男の名前は古泉一樹という。
 いまさら説明するまでもないことかもしれないが、ここはSOS団の部室……として勝手に使われている本来文芸部の部屋で、時間は放課後。俺を含めたSOS団の団員五人はきっちり勢ぞろい中で、思い思いに時間をつぶしているところだ。
 長門は丸テーブルのところで本を読み、朝比奈さんは真剣に雑誌を見つめ、ハルヒはPCの前の椅子にふんぞりかえって、なにやら難しい顔つきをしている。平和だ。嫌というほど見慣れた光景だ。
 そして俺と古泉が、ゲームのボードをあいだに挟んで対峙しているのも、すでに飽きるほどくりかえされた光景である。
 俺はあいにくハルヒと違って、日々何事にも変革を求めるタイプじゃない。マンネリってのも悪くはないさ、それが安定ってことと同意義ならな。何度もくりかえすことによって身体になじみ、穏やかな気持ちになれる。
 であるからして俺は、古泉とひたすら延々と手を変え品を変えボードゲームをやりつづけることに、案外不満を持っちゃいなかった。なにより穏便に時間をつぶすには最適な手段でもあった。
 しかしだな。
 真っ白の石に埋め尽くされたオセロの盤面を見るにつけ、俺の眉間の皺は深く深くなっていかざるをえない。くそ、将来こんなところに皺ができたら古泉、おまえとハルヒのせいだからな。
 古泉はゲームが弱い。弱すぎる。
 特進クラスなんかに入っているくせに、なんでこいつがこうもゲームの才に欠けているのか、俺には心底理解できないが、弱いものは仕方がない。八代前の先祖の悪行が祟ってゲーム運なるものがマイナスレベルにまで奪われているのかもしれんしな。
 俺が気に入らないのは、古泉のゲームの弱さそのものではなく、負けたときのこいつの態度だ。
 古泉がとにかく機嫌をとらねばならんのはハルヒだけで、俺はその対象外のはずだってのに、なぜかこいつは勝負に勝とうという気がないらしい。どれだけ負けを重ねても、悔しいという感情を表に出したことがない。
 いくら暇つぶしにすぎないとはいえ、やるならもっと本気でやれよと俺は言いたい。
 だからだ。
 にこにこと笑顔の大安売り中のハンサム顔に、俺は不機嫌に言ってやった。
「古泉、賭けをしよう」
「……賭け、ですか」
 古泉は何度か瞬きをして、俺を見つめた。とりあえずにこにこ笑いが半分くらいに減量されて胸のすく思いだった。
「負けてもなんのペナルティもないゲームなんか真剣にやれるわけがない。何かが賭かってればもう少し本気になるだろうさ」
「負けたほうがジュースをおごるとかですか?」
「そんなんじゃだめだ」
 古泉の発言を俺は即座に却下した。その程度の賭けなら以前にもやったことがある。負ければ確かに懐は痛むが、せいぜい数百円だ。俺の哀れで小さな財布はその程度の搾取にも回復不能なレベルのダメージをくらうが、古泉にとってはへでもない金額だろう。
 どうせ賭けるなら、もっと精神的なプレッシャーを与えるようなものでなければだめだ。
「そうだな、たとえばこんなのはどうだ」
 俺は考え考え言った。
「一日に一回、アルファベットのaから始めてzまで、回数は全部で二十六回だ。勝負に負けたほうが、その日に対応したアルファベットを頭文字とする『何か』を自分の持ち物の中から見つけて相手に渡す。あんまり高いものはだめだ。せいぜい千円くらいまでにしといてくれ。それ以上の物は受け取らない」
 古泉はかすかに笑った。
「あなたが受け取る立場になることばかりを想定しておられるようですが?」
「普通に考えたらそうなるだろうが」
 じろりと俺は古泉を睨んだ。こいつは自分がこれまでどれだけ負け続けてるのかわかってないのか。せいぜい勝率二割ってとこだぞ。
「身近なところに見つからなかったからって、新たに買うのはなしだ。知恵を絞って探して持ってこい。……っていうのでどうだ?」
「面白そうじゃない!」
 どこから聞いていたのか知らんが、ハルヒがいきなり首を突っ込んできた。
「それやってみなさいよ。そしてあたしに毎日何を持ってきたか報告すること! 興味深いわ」
「おまえに関係ないだろう!」
 しっしと手をふって追い払おうとしても、そう簡単に思い通りになるような相手じゃない。困って周囲に視線を走らせてみたが、長門は本から顔を上げもしなかったし、朝比奈さんはきょとんとした様子でこちらを見守っているだけだ。
 ひとしきりの孤独な攻防をハルヒとくりひろげつつ、俺は古泉に目配せを送った。
 大丈夫、ハルヒはどうせすぐに飽きちまうさ。気にすることはない。
 その意味を果たして正しく受け取ったのか否かは不明だが、古泉は腕組みをしてしばし何事か考え、やがて優雅にうなずいた。
「わかりました、やりましょう」
「さすがは古泉くんね。面白くなってきたじゃない」
 おいおいまさか、ハルヒのご機嫌をとるためにやるっていうんじゃないだろうな。
 少しばかり胸の奥がもやもやしたが、まあとりあえず俺の意見は通ったわけで、ここで不平不満を言うのは筋が通らない。
「ただひとつ条件に加えていただきたいのですが、その『何か』とは、形のないものでもかまいませんか?」
 古泉がこう言い出したときにも、俺は深く考えずにうなずいた。
「いいんじゃないのか?」
「じゃあ今日がその第一回ね。負けた人は明日、aで始まるものを持ってくること!」
「おまえが仕切るな!」
 そんなわけで俺と古泉は、ハルヒの監視の下にその日最後のオセロに挑んだ。さっきの一回をなかったことにしておいてやった俺の温情に感謝してもらいたい。しかしながらというか予想通りというか、次の一回も勝者は俺で、せっかくの温情にはまったく意味がなかったのだが、そんなことはどうでもいい。
 ペナルティがあるというのにあいかわらず古泉はにこにこ笑っているだけだったし、打つ手は少しも強くなったように見えなかった。
 くそ、いつまでも笑っていられると思うなよ。

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[20080512]