かぼちゃの王子様
ハルヒには絶対服従のイエスマン、古泉一樹がその柔和な表情を曇らせ、おずおずとながらも主の命令に逆らうなんていう珍しいシーンを見たことがあるだろうか。
俺はある。しかしせいぜい二度目くらいだ。それがかなり貴重な体験であることは間違いない。
「涼宮さん、確かにハロウィンにかぼちゃはつきものですが、しかしそれとその衣装のあいだには関連性がなく、イベントの趣旨からも外れるのではないかと愚考するのですが」
笑顔を引きつらせながらもおだやかに古泉は抵抗したが、明らかにその全身からは「NO!」と叫び出さんばかりのオーラが迸っていた。
しかしそんなことを我らが暴君涼宮ハルヒが気にするはずがない。これまでにいくらでもその実例を(主に朝比奈さんで)目にしてきているはずなのに、いざ自分が対象となると判断が鈍るものらしい。
そんなわけで古泉は否も応もなく『それ』を押しつけられることとなった。
目に焼きつく鮮やかなオレンジ色のかぼちゃぱんつを。
加えて白いレースのついたシャツとタイツ、黒いビロード生地の上着と、生のかぼちゃの底辺を窪ませて、王冠に見立てたらしき被り物を。
それら一式を嫌々身に着けた古泉の姿に俺は容赦なく笑ってしまった。まったく完璧なかぼちゃの国の王子様だった。かぼちゃぱんつが似合う男世界選手権に出してもこれならいい線いくだろう。古泉は恥じらいと絶望を同時に目に浮かべるという器用なことをしていたが、本当言うとその姿は笑えるというより水際立って端麗だった。
もちろんハルヒの計画の犠牲となったのは古泉だけではなかった。長門はミイラをイメージしたのであろう白い包帯で全身をぐるぐる巻きにされたが、それはミイラというよりどちらかというと綾●レイだった。朝比奈さんはミニスカが目にまぶしいキュートな魔女のお姿で、これはもう文句もなしに似合っていた。当のハルヒは「あたしは黒猫よ」と宣言して、全身黒い衣装を身につけ、耳と尻尾をつけていたが、これもまあ憎たらしいことに似合っていた。しかし爪に本物の刃物を仕込むのだけはやめてほしかった。危ないだろ!
……俺か? 俺はまあいつもと同じく傍観者的立場だった。トリックオアトリートと声をはりあげて、おひねりならぬ菓子をゆすり取る係だ。手にはカエルの着ぐるみの頭部をひっくりかえしたものを、受け皿として持っている。冷静に考えるとまぬけな姿なんだがな、妙な仮装をさせられるよりはずっと俺の心は平穏だ。
さて、北高随一の迷惑度の高さを誇る我らがSOS団は、ハルヒ団長の号令の元、妙な仮装の一団となり、放課後の部室棟を練り歩くこととなった。急襲されてお菓子をねだられ、持ち合わせがなかったばかりに部室を散々に荒らされてしまった多くの部の方々には大変遺憾なことであったろうと思う。すまん。俺が謝ってもしかたがないが、まだしもこの騒動は平穏なほうだったと思って心を慰めてくれ。とりあえずいろいろと目の保養にはなっただろう。
男子の多い部室では当然のごとくに朝比奈さんやハルヒや長門というタイプの違う美少女が熱い視線を浴びていたが、これが女子の多いところへ行くと、一転注目の的だったのは古泉だった。それも笑われるのではなく、ぽーっと見とれる女子の多いのなんのって、あんな生のかぼちゃを頭に載せたかぼちゃぱんつの男でも、顔がよけりゃそれでいいのかと説教してやりたくなるほどだった。当の古泉は貼りついたようなうつろな笑顔でぼんやり立っていただけなんだがな。
ううむ非常に面白くない。
さてこの狂騒的勘違いハロウィンイベントについて語るべきことはそれだけでは終わらない。ハルヒの気がひととおりすみ、お菓子も山のように手に入れて、意気揚々と文芸部室に引き上げたそのあとになり、俺は古泉とふたりきりになる時間があった。つまりは男子用お着替えタイムで、俺は別段何の仮装もしていなかったのだが、なんとなく古泉と一緒に部屋の中に取り残されたのだ。
女子三人はしばらく中庭で時間をつぶしてくると言って出て行った。朝比奈さんのお着替えを廊下で待たされるいつもと逆のパターンだ。
相当重かったと思われる王冠を下ろしたとたんに古泉は深いため息をついた。
「朝比奈さんの気持ちが少しはわかったか?」
「……そうですね。これからは彼女のことをもっと尊敬しようと思います」
「モヒカンよりはましだっただろう? 女の子からも盛大に熱い視線を向けられてたじゃないか」
「あいにくと、僕にとってはどうでもいいことですね」
そう言って古泉は拗ねたような視線で俺を見つめた。なんだ、逆ギレか?
「あなたは普段の制服のままだからわからないかもしれませんが、これはひどく恥ずかしいものなのです。何か役得のひとつもなければやっていられませんね。せっかくハロウィンの日に仮装をしているわけですから、ここはひとつお約束のあれをやっておかねばならないというものでしょう」
王子様然とした微笑みを浮かべて古泉はにじり寄ってきた。俺のごくごく間近に顔を寄せ、そして甘くささやいた。
「Trick or Treat」
発音まで完璧だ。伊達に特進クラスには入っちゃいない。
しかしながら俺は響きのいい古泉の声に酔うこともなく、冷徹にその唇に手のひらで蓋をした。
「かぼちゃぱんつの男にいたずらされるくらいなら、俺は舌を噛み切って死ぬ」
古泉は傷ついた顔をしたが知ったこっちゃない。ここ数時間の俺の胸のむかつきの報いだと思って謹んで受け取るがいい。
だがしかし、俺はただ古泉を傷つけたいわけじゃない。
「トリックオアトリート!」
いきなり俺がささやくと、古泉はきょとんとした顔で何度かまばたきをした。瞬時に俺の意図を察しなかった時点でおまえの負けだ。たとえ察していたところで、おまえが飴のひとつも隠し持ってないのは知っているんだがな。
お菓子をくれないならいたずらしちゃうぞ、だ。
一瞬ふれた唇の温度に目を丸くして、それから真っ赤になったかぼちゃの王子様の姿はなかなかに見ものだった。
かぼちゃぱんつの男にいたずらされるのはまっぴらごめんだが、かぼちゃぱんつの男にいたずらするのは平気だという俺の心理を誰か説明してくれたなら、板チョコを一枚くらいくれてやってもいい。本気だぜ?
[20071029]