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花のない生活

 午前零時の夜闇の中、遠くからでもその男の姿はよくわかった。特別に背が高いというわけではないが、それでも群集の中からは頭半分飛び出している。やわらかそうな髪に冬の陽光が照り映えている。
 しかしそいつが目立つのは決して身長のせいじゃない。なにやらこう、きらきらしたオーラがそいつの全身からは放たれているのだ。こいつなら田んぼの真ん中をジャージで歩いていても芸能事務所にスカウトされたりするんじゃないかとか、そういう感じだ。
 そのきらきらオーラを放っている男は、俺が近づいていくと視線を上げ、端整な顔をほころばせた。
「あけましておめでとうございます」
 朗々とした美しい響きの声を正面から浴びせかけられ、いやそれよりも、陳腐な表現で悪いが花のようとしか言いようのない微笑を惜しげもなく向けられて、俺は一瞬呼吸困難を起こしそうになった。
 男に対してこんなことを言いたくはないが可愛いすぎる。これが朝比奈さん相手だというのなら俺は美辞麗句を惜しんだりしないのだが、あいにく相手は古泉だ。俺と同学年で同じ部活の副団長、古泉一樹だ。そんな奴に対して可愛いと思うこと自体に俺は耐えられない。耐えられないのだがしかし、これがどうがんばっても事実なのだから抵抗しきれない。
 思い起こせば初めて会ったそのときは、ずいぶん顔のきれいな男だと思ったがそれだけだった。それがともに艱難辛苦を乗り越えること一年と半年強の時間を経て、気がつけば俺は古泉に対して「可愛い」などというとち狂った見解を抱くまでになっている。どうしちまったんだ俺の脳髄。視神経に変なフィルターでもかかってるんじゃあるまいな。
 ああそれはいい(よくはないが、あえてスルーする)。そんなきらんきらんした男と俺が待ち合わせた場所は、近所とは呼べないくらいに距離はあるが近隣一帯ではかなり大きな神社の入口の鳥居のところだった。日付は一月一日、元旦だ。あたりはすごい人出で、特におばちゃんパワーがすごい。阿鼻叫喚の混乱状態のただなかで、ひとり涼しげに微笑んでいられるのだから思えば古泉はすごい神経だ。
 この場で待ち合わせているのは俺と古泉だけだった。ミッションは初詣。何が悲しくて新年早々、男だけで初詣なんかに来なけりゃならなかったのかという言い訳をまず最初にさせてほしい。
 いまさら説明するまでもないだろうが、我らがSOS団の団長様は傲岸不遜、横暴の権化、一度言いだしたことは世界中に喧嘩を売ってでも叶えずにいられないという無敵のパワーの持ち主だ。
 その団長様が年の初めにSOS団の五人で初詣に行こうと計画を立てたこと自体は予想の範囲内だった。去年もそうだったしな。あのときは合宿の日程が年末年始に重なっちまったせいで、初詣もその延長として行われたわけだが、今年は朝比奈さんの受験を考えて冬合宿はなし。比較的穏やかな冬休みをすごすことができていた。
 我らが団長の言うことには、初詣は零時ちょうどに行うことに意義があるのだそうだ。おそらくは誰よりも早くみんなにおめでとうを言いたいだけなんだろうが、その気持ちはまんざらわからなくもない。俺たちは神社の参道のスタート地点で待ち合わせることになった。
 と、ここまではまったく問題のない展開だ。多少なりと不穏な空気が漂ってくるのはこれからの話だ。まず信じられないことにあのハルヒがインフルエンザでぶっ倒れた。あいつでも風邪をひくことがあるんだなあと感心していたら、見舞いに行った朝比奈さんまで巻き添えをくって倒れた。おいおいおいと思っていたら長門まで欠席すると言い出した。長門の場合は風邪のはずがないと思うが、最近の長門はずいぶん人間らしくなってきたから、もしかしたら今はわざと風邪にかかってみる練習をしているのかもしれない。
 女子三人全員欠席となった初詣プランに俺はかなりやる気をなくしていたのだが、そこへ団長様の鶴の一声が飛んできた。
「せっかくなんだから、男子だけで親睦を深めてらっしゃいよ!」
 ちなみにこのセリフは全体が咳とくしゃみまみれで、おまけにひどく聞き取りにくかった。しかしながらハルヒの気づかいだけは嫌というほど感じられて、俺は断ることができなかった。
 そんないきさつがあっての今だ。古泉とふたりきりの初詣ミッションはたった今にぎにぎしくもとい寒々しく開始されようとしているのであった。
「……あけましておめでとう、だ」
 ごく普通の挨拶なのだが、妙にぎこちない言い方になった。しかし古泉はそれを気にした様子もなく、にこりと笑うと先にたって、本殿へと続く長い行列についた。
 よく考えると古泉とふたりきりのシチュエーションなんかはいまさら珍しくもなんともない。意識するほうが間違っている。ごくごく普通に賽銭を投げ入れてくればミッションは終了だ。
 はあと大きく息をつくと、呼気が白く漂った。年末年始の天気は晴れで、その分放射冷却で冷えている。
「寒いですね」
 特に高くも低くもないテンションで古泉が話しかけてくるのに、俺は適当に相槌をうった。
「長門さんも風邪というのは本当でしょうか」
 さあな。
「涼宮さんはもう快方に向かっているという話で安心しました」
 そもそもあの健康を絵に描いたような女が風邪にかかるってこと自体が異常だからな。
「朝比奈さんの受験に差しさわりがないといいのですが」
 まああのお方は未来人だからして、いざとなったら禁則事項を駆使してでもなんとかするだろうさ。
「……もしかして気分がお悪いのでしょうか?」
 急にそつなく顔をのぞきこまれて俺は息が止まりそうになった。
「寒いだけだ!」
 顔が近い、というのは何度言ってもこの男には理解してもらえない苦情のひとつだ。俺がもそもそ気乗りのしない風情で喋るのなんかいつものことだろうに、なんだってこいつはいちいち顔を近づけたがるのか。ああそうか、周りが騒がしいからか。
 本殿へと向かう人の流れはかなり遅く、ほとんど止まってるみたいなものなのに前後左右から妙な具合に押しやられ、不快度は相当に高い。次第につま先だの手の先だのがかじかんでくるのがわかる。
 古泉はひょいと肩をすくめると、やれやれと言いたげな口調で言った。
「あなたはどうしてそんなに僕を警戒するんでしょうか。もう一年以上にもなろうというのに」
 あほう、これは警戒しているんじゃない。あいにくおまえの腹の底なんかお見通しだし、いざというときにはちゃんと俺の(俺たちの?)味方になってくれると信頼もしている。謎の転校生なんていうキャラ設定はとうに昔のものになっちまっているのに、それを理解してないのはむしろおまえのほうだろう。
 と、思ったが、口に出しては言わなかった。別に言ってやってもよかったんだが、こいつは本気にしないだろうし、いまさら俺に対する態度を改めもしないだろう。
 古泉は俺の前では絶対に素を出そうとしない。いや、ぼろぼろこぼれてきているものはあるんだが、古泉自身は繕えてると思っているらしい。ハルヒがすぐそばにいるときならともかく、俺の前でまで隠す必要はないと思うんだがな。
 いやしかし、こいつがどこまで自分を作ってるのか、どこからが素なのか、見極めるのは難しい。
 ただひとつ、思いがけないところから、助言をもらったことがある。
「なあ古泉」
「はい?」
 突然俺が呼びかけると、古泉はふしぎそうな顔つきで少し身をかがめた。俺はその前髪の部分を指の先で弾いてやった。
「夏には暑くないかこれ」
 ぴんとそのとき、古泉の片方の眉が跳ねあがった。当たりだ。
「……別に?」
 いくらか冷淡に、わずらわしげに、そして若干いぶかしげにその言葉は発せられた。
「なぜそんなことを訊くんです?」
 続けて返された問いかけに俺は軽く肩をすくめてみせた。
「……別に?」

[201001]