僕は鳩を飼ってはいない
僕はこれまでペットというものを飼ったことがない。猫だろうと犬だろうと鳥だろうと。自分よりも弱くて、自分が注意を怠れば簡単に死んでしまうような生き物と一緒に暮らしたことがない。
だから、鳩を飼ったことなんて、当然あるはずがない。
「……何を?」
「ええ、ですから、鳩を」
部室に僕たちはふたりきりだった。彼は机をはさんで僕の向かい側という定位置で、退屈そうに雑誌を広げている。今日はボードゲームは出していない。そんな気分ではなかったのだ。
外は曇天。すぐにでも雨が降り出しそうなのに、いまだ朝から持ちこたえている。できるだけ早く帰ったほうがいいだろう。
「夢で見たんです。僕が暗い部屋の中で眠っていると、枕の上を、もぞもぞとタオルのようなものをかきわけて、小さな生き物がぎこちなくやってきたんです。あまり姿をはっきりと見ることはできなかったのですが、鳩だと思いました。いやそれともうずらか何かだったのでしょうか。とにかくそんな両手でようやく掴めるサイズの鳥です。僕はそれを籠に入れて飼っているのですが、ここ数日忙しくて水も餌もやっていなかったということに突然気づきました。鳩は空腹と渇きに耐えかねて、籠から脱走してきたに違いないのですが、僕を非難するでもなく、餌を要求するでもなく、僕の肩のつけ根のあたりの窪みにぽすんとうずくまりました。とても軽くて、あたたかかった。それをはっきりと覚えています」
夢の中の架空の出来事だというのに、その重みと温度を今も忘れることができない。
「……で?」
彼は怪訝な様子だった。当然だろうと思う。僕自身にも、なぜこんなことを急に彼に話す気になったのかよくわからない。他人の夢の話ほどつまらないものはないと言う。
「僕はきっとこれから先も生き物を飼うことはないだろうと思いました」
結論としてはそれしかなかった。僕はそうした弱い生き物の生死に責任をとれない。無自覚に、容易に、ほかにかまけて存在を忘れてしまう。きっと死なせてしまう。
だから生き物を飼うことはできない。
そのときふいに彼が長いため息をついた。少しあきれているようだった。妙な話を長々と聞かされて、不愉快に思っただろうか。申し訳ない。僕は最近彼に対して気がゆるみがちだ。
「すみません、退屈させてしまいましたね。雨も降りそうですし、今日は早目に帰りませんか」
僕がその言葉を最後まで言う前に、彼は突然立ち上がった。ぐるりと机の端をまわって僕のいる側へ移動してくる。僕は彼が何をするつもりなのかわからず、ただその行動を目で追う。
「どうしました」
彼は無言だった。顔つきはどちらかというと怒っている部類に属する。ひやりとして立ち上がろうとすると、肩を押さえつけられた。
背中から、ゆるく両腕をまわしてきた彼の頭が、ぽすんと僕の肩に乗った。
夢の中の鳩の感触よりずっと重い。しかしあたたかさは似ている。にじむように染み入り、僕の動きを奪う。
「鳩と一緒にすんな」
ぼそりと彼がひとことだけ言った。
やさしい声だった。
[20070908]