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アンチ眼鏡属性

「なんだそれ」
 部屋に訪ねてきたなり彼が口にした言葉の意味を理解するのに少しかかった。
「……それ?」
 彼の視線がまっすぐ向かっている先には僕の眼鏡があった。
「おまえ目が悪かったのか?」
「ああ、ふだんはコンタクトにしているんですよ。でも今日は目の調子が悪かったので」
「ふうん」
 彼はなぜか不機嫌そうに慣れ親しんだ僕の部屋へと入ってくると、いつもの定位置にどっかりと座った。僕はおずおずとその正面にあたる場所に腰を降ろした。ちょうど今は機関に提出する書類をノートPCで作成していたところだった。彼に見られるわけにはいかないので、そっとさりげなくエディタの画面を閉じ、PCそのものの電源も落とそうとする。
 と。
「やめなくていい。俺はいないもんだと思ってつづけろ」
 無茶な指令が来た。
「無理ですよ」
 僕は苦笑をする。彼に見せてはならない資料だという以前に、こんな身近なところに彼がいるのに、僕がそれを無視できるはずがない。その呼吸や視線の動き、小さな身じろぎにまで、すべての意識を持っていかれてしまう。
「じゃあ、これはもういらないな?」
 何を納得したのか彼はふいに身を乗り出して、僕の眼鏡に手をかけた。えっと思う間もなくそっと外される。僕は瞬きをする。眼鏡がなくてもそれなりに見えはするのだが、多少は視界がぼやけてしまった。そんな、微妙にソフトフォーカスがかかった視界の中で、彼は妙にまじめな顔でこう言った。
「俺には眼鏡属性はないんだ」
「はあ」
 わかったような、わからないような。眼鏡属性がないからといって、僕から眼鏡を奪う理由にはならないように思うのは気のせいだろうか。眼鏡がないほうがいいというだけでなく、もっと積極的に眼鏡を排斥するなら、それはアンチ眼鏡属性とでも言うべきものだ。
「ですが、あなたは長門さんからむりやり眼鏡を外したりはしませんでしたよね」
「長門とおまえは別だろう」
 どこかむっとした表情をして、彼は僕に顔を近づけてきた。最初からぼけていたその顔がますますぼやける。近すぎて、それは僕がしばしば彼から苦言を呈されるよりもさらに縮まった距離で、やがてゼロにまで到達する。
 僕は少し驚いて目を見開いた。
「眼鏡があるとこういうこともやりづらいしな」
 怒っているような彼の声が照れ隠しであることを、僕はもう学習している。アンチ眼鏡属性万歳だ。しかし眼鏡ナシの状態にこれだけ反応してくれるということは、僕は毎日眼鏡をかけていたほうがいいんじゃないだろうか。
 しかし僕は彼には逆らえない。
「あなたのお望みのままに」
 僕はそう言って笑うと彼を引き寄せた。

[20071119]