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かえりみち

 実のところ、彼と帰りにふたりきりになることというのは滅多にないのだ。
 SOS団は基本的に五人で行動することを旨としている。男子と女子とでグループ分けができていて、必ずしも同じことをしているわけでなくても、とりあえずは一緒にいる。それが涼宮さんの望みである以上、僕に拒否権などはなく、また特別に異議があるというのでもない。
 五人でいるということに僕は慣れていた。あまりにそれが居心地よくて、かえって彼とふたりきりになってしまうと、ひどく落ち着かない心地がした。
 僕自身の身の丈や境遇にそぐわないことばかりを考えてしまうからだ。
 僕はきっと彼のことが好きなのだと思う。
 それは仲間意識や友情とは違うものだった。もっと衝動的で暴力的で、明らかな飢えと渇きをともなっている。
 僕はずいぶん前から自分のその感情に気づいていたが、あえてそれを表に出そうとはしなかった。
 男同士だからとか彼は僕のことなんか好きじゃないとか、そういったことの以前に、彼は涼宮ハルヒの「鍵」で、世界の命運は彼の行動如何にかかっていると言っても過言ではない。
 そして僕は世界の平和を守るために特別な力を与えられた「正義の味方」なのだから、間違っても彼に告白をして動揺させたり、あまつさえ無理やり手に入れようなどとしてはいけない。
 それだから僕は柔和な笑顔の下に本心を隠して、今日も彼の隣を歩いている。
 だけどやはり、つらいのだ。
 手をのばせば届くほどの距離に彼がいて、周囲にはほかに邪魔な人影はなくて、この瞬間には涼宮さんの目も機関の目も僕には届かない。自由に好きなことを言っても、誰も僕をとがめない。多分、彼すらも。
 なのに僕は自分の中の規制にがんじがらめに縛られて、何ひとつ思いどおりのことなんか口にはできない。
 馬鹿みたいだ。
 いつもだったら彼にうるさがられるくらいに何かを話しかけるのに、この日の僕は次第に沈んでいく自分の心を持て余し、どんどん無口になった。なぜか彼のほうでも僕に話しかけようとはしなかった。
 急な坂道を黙りこくって歩いている高校一年の男子がふたり。ずいぶん奇妙な絵面じゃないか。
 西の空には茜雲がたくさん浮いて、沈みかけた日があたりを淡いオレンジに染めている。彼の髪も制服も横顔もみんな統一された色彩の中にたゆたっている。
 やわらかそうなくちびるだとか、まだ少し幼さの残る頬だとか。きれいな形の耳だとか。
 ふれたい、と自然に思い、きゅっと胃の縮む感覚を味わった。
 だめだ、だめだ。
 でも言いたい。
 本当は、ずっと言ってしまいたかった。
 あなたが好きです。でも僕のその気持ちは決してきれいなものじゃない。だから僕は、たとえ世界の平和と天秤にかけなくたって、あなたを大切に守るために、僕自身からも守るために、きちんと距離を保って、僕を縛りつけておかなければならない。
 あなたが好きです。
 気がつくと僕は立ち止まっていた。坂道の途中で、ただぼんやりと彼の背中が遠ざかっていくのを見送っていた。このまま気づかずに彼がずっと先まで行ってしまえばいいと思う。それなら僕は最低最悪の選択をせずにすむ。
 だけど、気づかれないわけがなかった。
「古泉」
 唐突に名前を呼ばれた。硬い緊張を含んだ声だった。
「何も言うな」
 彼もいつのまにか立ち止まっている。その背中までの距離が変わらない。そのくせこちらをふりむきもしない。
 何も、言うな?
 瞬間、血の気の引く音を耳もとで聞いた。悟られたのだ。そうとしか考えられない。
 ふだんは鈍感なくせに妙なところで鋭いこの人は、僕の沈黙の中に何を読み取ったのだろう。少なくとも僕が、決して口にしてはならないひとことを言ってしまいそうになっていることくらいは。その中身が何であるのか彼が正確に察しているとは思い難いが、それでもきっと片鱗くらいは。
 遠まわしのこれは断りだった。決定的な破綻を迎える前に、僕にまだSOS団内での立場を残してくれようとしている。
 彼はやさしい人だから。
 そしてひどい人だから。
 涙がこぼれそうだった。告白する前に失恋したのだから、僕にはその権利があると思う。だけど僕は必死で笑顔を形作り、世界の平和を維持するために、彼と並んで歩かなければならない。
 ところがだ。
 僕が凍りついた足を再び動かす前に、彼が何かをささやいた。ひどく小さな声だった。聞き間違いかと最初思った。
「おまえが好きだ」
 彼はそう言った。
 僕は茫然と彼の少し丸めた背中を見つめた。オレンジ色に染まった制服はぴくりとも動かない。どんな顔をしているのだろう。
 あまりに想像外で、ありえなくて、僕の思考はすっかり停止してしまっている。都合のいい白昼夢でも見ているんじゃないだろうか。彼が僕のことを好きだなんて、そんなことあるわけがない。
 ああだけど髪のあいだから覗いた彼の耳は真っ赤に染まっていて、それは夕焼けの色の反射なんかじゃ絶対にない。引き寄せられる。その熟したチェリーの色の温度を知りたい。
「僕は……」
「何も言うなと言っただろうが!」
 かたくなにふりむかない背中に僕は歩み寄る。一歩、また一歩。
 そして、一生胸にしまっておくはずだった言葉をそっと、熱を持った彼の耳にささやいた。

[20070928]