安眠剤
真夜中に彼から電話がかかってくることは珍しい。
というより実際それは、彼からかかってきたはじめての電話だった。
彼とこれまで電話をしたことは何度かあったが、それは一方的に僕からかけたものであり、また、涼宮さんがらみの明確な用件があってのものだった。
それが突然彼のほうから、こんな時間に。
いったいどんな用事なのか、突発的に不合理なトラブルが発生したとでもいう連絡なのかと、僕はかなりの緊張をもって携帯の受信ボタンに指をかけた。
「……古泉です」
声をひそめてささやくと、夜の静けさが際だった気がした。電話を通してつながっているはずのどこか遠くの空間もまた静かだ。一拍、二拍と息をつめて待つ。すると、かすかな彼の呼吸の音が、やわらかく僕の鼓膜をふるわせた。
『悪いなこんな時間に』
「……いえ。どうしました?」
少なくとも彼は現在、危機的状況にはないようだ。おだやかな彼の声から僕はそれを知り、内心ひどく安堵した。
『どうしたっていうかさ、どうもしないというのが問題で』
「ええ」
『どうにもならないからおまえに電話したというか』
妙に煮えきらない様子の彼は、散々ためらってみせたあげくにようやく言った。
『眠れないんだ』
このとき僕の頭に瞬時にいくつもの可能性がよぎったことを僕は否定しない。眠れないから誰かに電話をかける。そうした行動をとるには相当相手を信用していないといけない。彼が僕にそんな親しみや気安さを感じていてくれたとは、不覚にして知らなかった。それともこれは信用や親しみの問題とは違うのだろうか。そもそも彼はなぜ眠れなかったのだろう。何かを悩んでいたのではないか。だとしたら、第三者にその相談をするなり、当の相手に直接悩みをぶつけてみたりするのが順当ななりゆきだ。これはそのどちらのケースに該当するのだろう。僕は第三者なのか当事者か。この違いは大きい。
まさか真夜中に電話で愛の告白なんて、彼に限ってするはずがないとはわかっているけれど。
しかし我知らず僕の手には力がこもった。心臓の鼓動が徐々にアップテンポになり、胸にぼんやりとした痛みが走る。
「なぜ、僕のところに電話を?」
尋ねた声は不自然にかすれてはいなかっただろうか。奇妙な緊張と期待にふるえてはいなかっただろうか。
答える彼の声にはほんの少しの罪悪感が含まれていた。
『おまえのいつもの長広舌、あるだろ。あれって聴いてるといつも眠くなんだよな。だからおまえにくどくどとなんか喋ってもらったら気持ちよく眠れるんじゃないかと思って。……おい、古泉、聞いてるか?』
ああ僕が馬鹿でした、莫迦でした、バカでしたってば。
それから僕は一時間にわたって彼に、涼宮さん神様説の有効性について事細かに語ることになった。
しかしこんなめちゃくちゃな要求を真夜中にしてくるほどには、彼は僕に気を許しているのだと、それだけには少しなぐさめられる思いがして、僕はからからになった喉で最後にやさしくおやすみなさいと言った。
[20070908]