TEXT

Someday in the Snow

3 二月

 自転車を停める駅前あたりでは晴れていても、坂を上って北高の周辺までやってくると雪がちらつく。そういうことは意外によくある。気温の下がり方もまた半端じゃない。天候は崩れるとなると一気に大嵐のレベルに達し、帰り道の途中で遭難するんじゃないかと真剣に不安になることもしばしばだ。
 この日の朝は雨だった。少なくとも俺が家を出たときにはそうだったのだが、北高にたどり着く頃には雪になっていた。席が窓際なのをいいことに、積もらないでくれよと祈りながら眺めていたが、あいにく俺の祈りは届かず、放課後には地面に十センチほどの積雪があった。
 典型的な「犬は喜び庭駆けまわる」タイプのハルヒは、雪合戦をやろうだの雪だるまを作ろうだのと大はしゃぎだったが、幸いにして三十分ほどで飽きてくれたようだ。暗くなりかけた空を見上げて、「危ないから今日は早く帰りましょ」とつぶやいたのは、ここ数ヵ月のあいつの言動の中では一番の英断だったと言っていい。
 が、しかし。
 周囲が明るいうちなら安全に帰宅できるかというと必ずしもそういうものではなく、帰り道の急坂・下りに積雪のオプションがついたら、途端にどんな惨事が待っているかは説明するまでもなかろう。
 俺は転んだ。ああ、悪いか。ばっちり尻もちをついて、痛いばかりか腰から下がぐっしょり濡れた。
 だがひとつ言い訳をさせてもらうと、俺より先に足を滑らせかけたのは古泉で、とっさにそれを助けようと手をのばした俺だけが結果的に転ぶ羽目に陥り、大変に不服だった。ハルヒにはさんざん馬鹿にされ、朝比奈さんからは同情に満ちたまなざしを向けられた。長門の表情は一ミクロンたりとも動かなかったから、どう思われたのかわからない。
 肝心の古泉からはすまなそうな顔で手を差しのべられた挙句に、小声で「すみません」とささやかれた。まあとりあえず、こいつが自分のせいだと理解しているならほかはいい。
 よれよれしながらもなんとか駅まで到着し、長門とハルヒとはそこで別れ、朝比奈さんも少し買い物があるからと言って姿を消し、なんとその場には俺と古泉だけが残された。実に珍しいこともあるもんだ。
 案の定平地では雪は雨に変わっていた。大降りではないが、しとしとと冷たく肌を濡らす。いつもなら、少しくらいの雨は気にせず自転車に乗って帰るのだが、今日はそもそもその自転車がない。
 そんなわけで俺と古泉は一緒に電車に乗ることになった。
 駅のホームで並んで電車を待っていたときから、俺たちは奇妙に無口になった。ちらりと目を合わせ、すぐにそらす。俺たちがふたりきりになることなんか別に珍しくはないのに、どうも勝手が違った。日頃自転車通学の俺と電車通学の古泉とでは、こんなふうに雨や雪が降ったときだけ経路が重なる。それも、行きは圧倒的に古泉のほうが早いから、実質一緒になることになるのは帰りだけだ。
 ホームで冷たい風にぴゅうぴゅう吹かれていると、濡れたままのズボンの感覚がとてつもなく不快だった。凍りつきそうだ。五分ほどの待ち時間で電車がやってきたときには少しほっとした。少なくとも電車の中はあたたかい。
 思い切り空いている、というか乗客が俺たちしかいない車内で離れて座るのも不自然で、なかば仕方なく並んで腰を下ろした。古泉は口を利かない。俺も話すことが見つからずに黙っている。動き出した電車はごとんごとんとゆるやかに揺れながら走る。
 俺と古泉の降りる駅は違う。俺の降りる、その次が古泉の最寄り駅だ。行ったことはないが、駅からアパートまでは近いらしい。羨ましい話だ。俺の家から駅までは、ゆうに十五分ほど歩かなくてはならない。この雨の中、ぐっしょり濡れたズボンで十五分だ。げんなりする。
 だんまりをつづける古泉の横顔を俺はそっとのぞき見る。嫌味なくらいの整った顔に、どこか思いつめた気配がある。視線は床板の上に据えられて微動だにしない。
 なんだよ、また何か悩み事なのか? 疲れているのか?
 手を貸そうにも俺にできることなんて高が知れている。せめて話を聞いてやろうにも、当の相手が正直に口を割ろうとしない頑固者ときている。
 なあ古泉、もうすぐ俺の降りる駅に着いちまうってわかってるか? ローカル線のこの電車がいくらゆっくり走ろうと、そもそもがほんの短い距離だ。まとまった話なんかは最初からできそうにない。沈黙を貫いていたらなおさらだ。
「古泉」
 名前を呼んだ瞬間、古泉は俺のほうを見ることもなく、ふいに俺の指先を掴んだ。どきりとした。お互いさまというものだろうが、冷たい手だった。
「うちへ寄っていきませんか」
 ささやくようなその声音と、また内容にも驚かされた。寄っていけって、おまえ。
 俺はすぐにでも家に帰って、この濡れたズボンを洗うか乾かすかしたい。実質それをやるのは俺の母親だろうが、その前にまず凍えそうになりながら十五分雨の中を歩くという苦行が待ち受けている。
 いっぽうの古泉の家は駅から近いというが、こいつの家にアイロンや乾燥機がきちんと揃っているのかどうか、俺ははなはだ怪しいと思う。
 これは悩みどころだ。
 じゃなくて、問題はそんなところにはないと俺はわかっている。いや、わかってしまった。
 俺が古泉の家に行くということは、たとえば谷口や国木田の家に行くというのとは決定的に何かが違う。
 冷えて痛みを感じるほどだった耳の先が、急に熱を持ってぴりぴり痺れた。古泉に掴まれた指の先も、しもやけから回復しつつあるかのようなむずがゆさを感じている。頭に血が上る。しかし俺はそんな状態でありながらも意外に冷静に、古泉の瞼がわずかにふるえていることだとか、手が次第にあたたかくなってきたことだとかに気がついている。
「お釈迦様でも草津の湯でもって普通は言うが」
 こいつの場合は、胃薬でもおまじないでもって言うほうが正しいだろう。
 ありふれた治療法では治らない病気っていうのはあるものだ。
 あいにくこの病気にかかっているのは古泉ばかりではなく、俺もまた同様だというあたりが、治療をいっそうに困難なものにしている。
 ふしぎそうに、ようやくこちらに目を向けた古泉の顔が面白くて俺は笑う。電車の窓の外にはまだ雪がちらついている。
 車内アナウンスの声が、俺の降りるはずだった駅の名前を告げた。

[20080125]