Under the Desk
なにげなくのばした足が、机の下で「彼」のそれとぶつかった。
あっと目線で窺うが、彼はまったく気にした様子がない。いつものだるそうなポーズで頬に手を当てながら、しかし目だけは案外真剣にゲームボードに向けている。足は痛みを感じるほどの強さでぶつけたわけではないし、もちろん意図的に蹴ったのとも違う。相手がこれだけ無反応なのだから、いちいち謝ったりするのもおかしい。
そんなわけで僕はあえて無言でオセロの石をひとつ置いた。濃緑色の升目の上でぱたぱたと数枚の黒が裏返る。
対戦相手の彼は深いため息をついた。
「なんだってお前はそんなに弱いんだ」
パチリと彼の手が置いた黒石は、今さっき僕が裏返したばかりの石を見る間に次々ひっくり返していった。
「おや」
「わざと負けてるんじゃないだろうな」
がつんと意図的な強さをもって、机の下で彼の足が僕のそれを蹴った。さほど痛いものではなかったが、僕は大げさなくらいに眉をひそめて、困ったふうな笑顔を浮かべてみせた。
「そんなつもりじゃないんですけどね」
じろりと見上げてくる彼の目は少しも信じたようではない。
お返しに軽く靴の先で彼の足をつついてやると、今度は思いっきり踏みつけられた。これは結構痛かった。
「じゃあ本気でやってないんだろう」
「僕は至って真剣に勝負に向き合っているつもりなのですが」
僕はオセロの石をもう一枚置いた。圧倒的に不利な局面ではあるが、まだ勝敗は決していない。
いつまでも踏みつけられたままでいたいわけではないのだ。どんな絶望的な状況下でも打開策というのはあるものだし、またあってくれればいいと心の底では願っている。
踏まれた足を踏みかえすのもおとなげない話だ。だったら変則的迂遠的深謀遠慮でもって精神攻撃に転じてみよう。そう思って僕は、彼ののばされた片足にそっと自分のそれを絡ませた。長机二本をつなげた幅は思いのほか広く、膝同士がぶつかることはないが、ちょうど脛の部分がふれあい、その骨の硬さと内側の肉のやわらかさは感じられる。それとさりげない体温と。
一瞬ぎくりと身じろいだあと、彼は思い切りしかめ面をしたが、意外にもすぐに逃れようとはしなかった。居心地悪そうに身じろぎしながらもじっとしている。
「才能ないな」
そう言いながら、彼はまた黒石をぱちりと置いた。
「そうかもしれませんね」
僕はふしぎと満たされた気持ちで微笑んだ。彼はつまらなそうにそれを見て、しかし何も言わなかった。
実はそのとき部屋にいたのは彼らだけではなくて、涼宮ハルヒはPCの前でインターネットに集中し、朝比奈みくるはお茶を淹れ、長門有希は読書にいそしんでいた。つまりはありふれたSOS団の風景が展開されていた。
その空気はひどくおだやかで、やわらいでいて、僕はふとこれが平和というものではないだろうかと、自分でもひどい勘違いとしか思えない感想を胸に抱いた。
そんなわけはない。世界がまったく平和などではないからこそ自分たちはここへ集まっているのだし、平和を維持するために日夜耐えがたきを耐え忍んでいるのではないか。
しかしこの場所はあまりにも居心地がいい。
僕はもはや結末が見えすぎて、かえって緊張感の足りない盤面に視線を落とした。ひとつ石を置くと対戦者は即座に次の手を進めた。
彼と自分は共犯者だ。机の上と下とで微妙な温度差を持ちながら、それぞれに違ったゲームが進行している。
ゆっくりと、そしてひそやかに。
[20070729]