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古泉一樹は嘘で出来ている

 日曜の朝っぱらから駅前に集合し、あてどなくふしぎな事件を求めて街中をうろつくという行動は、もはや決まりきった日常に成り果てている。
 言いだしっぺのハルヒがそれに喜々として参加するのは当然としても、俺を除いたほか三人が唯々諾々として従いつづけるというのはなんだかな。それぞれに事情があるのだとは知っているが、もう少し自分の意思というものはないのかと問いつめたい。しかしながら、第一に異を唱えるべきであろう俺すらも、ついつい召集に応じてしまうのだからハルヒの影響力たるや恐るべきものだ。
 どうせほかに用事があるってわけでもない。家でごろごろしているくらいなら、わけのわからんUMA探索とやらにつきあって、あげくに妙な事件に巻き込まれ、予想外に心を身体を酷使され、怒りで目の前が真っ赤になるような体験や、あるいは世界や自分自身の存在がもろくも塵と消え去っていくのをただ見守るしかないような心もとない気持ちを味わい………………家でごろごろしているほうがどれだけかましな気がしてきたぞ、おい。
 しかしながら俺に拒否権はなく、本音を言うとずいぶん前から俺はこのわけのわからん集まりに心底から楽しみを見出していて、否も応もなく、なけなしの小遣いをせびられるとわかっている場所に顔を出しつづけているわけだ。
 さて、お定まりのくじ引きの結果、今日は俺と古泉が一緒のチームとなって、UMA探索に出かけることになった。なんだって女子が三人もいる集まりの中で、よりによって俺以外にひとりしかいない男と組まにゃならんのかね。むさくるしい。
 といっても外見に限って言えばまったくむさくるしいという言葉とは無縁のきらきら爽やかハンサムは、この日も見飽きたスマイルを顔からこぼれそうなほどに浮かべて、楽しげだった。
「さて、どこへ参りましょうか」
 このとき俺の知る限りでは、珍しいことに重大事件は何も起こっていなかった。得体の知れない未来人や宇宙人や異世界人がハルヒに魔の手をのばしているという気配はなく、俺自身にも急いで過去へ遡り時空を改変しなければならないような、重大なノルマは課せられていない。
 つまりは本当に自由に、好き勝手にこれからの行動を決めていいわけだ。
「どうしような」
 俺はいくらかの困惑を胸に古泉を見つめた。
 よく考えてみれば、古泉とふたりきりで、本当に何の目的もなく時間をつぶす必要に迫られたのはこれがはじめてだった。ここが部室であるなら延々とゲームでもしていればすむ話だが、場所が違うというだけで急にどうしていいのかわからない、あやふやな気持ちになった。
 最初からUMA探索なんかにまじめに取り組むつもりはない。適当に、たとえば谷口や国木田なんかと遊ぶのと同じ気持ちで、ちょっとした買い物や会話を楽しめばいいと思うのだが、相手が古泉だと思うとどうにもひどい違和感がある。
 こいつは俺の友達じゃないのだ。少なくとも俺の考える「友達」というものの定義からは大きく外れている。
 だったらなんだと訊かれても、一蓮托生の間柄だとか、とりあえず敵ではなさそうだとか、そんな聞く者の顔をハテナマークで埋め尽くしそうな答えしか俺には返せそうにないのだが。
 とっさに行動の指針を見出せないでいるのは古泉も同様であるらしかった。にこやかな笑みの下にわずかに困った顔が覗いている。そんな微妙な表情の違いの見分けがつくようになったとは、俺もずいぶん学習したものだ。
「行きたいところとか、ほしいものとか、ありませんか。あなたのごく私的な用件でかまいません。つきあいますよ」
「俺もいま同じことを言おうとしてたところだ」
 ふたりして困り果てながら駅前の広場で顔をつき合わせているこの不毛。無駄にジェントリーで要領のよさそうなお前なら、ここですかさず完璧なデートプランを提出するくらいの余裕があってもいいんじゃないのか。どうなんだ。
 無論、俺たちがこれから何時間かをともにするのは断じてデートなどではないので、デートプラン云々はあくまでもののたとえであり、他意はない。
「じゃああれだ。特に買いたい物はないし、だらだらうろつきまわるのも疲れることだしな、お前のおすすめの店でも案内してくれ。どうせなら涼しいところで時間つぶそう」
 言い忘れていたが季節は晩夏だった。残暑の厳しい折で、今日はまた陽射しがきつい。日の光が直接当たるところには立っていたくない。せめて日陰、それも涼しいところ。あんまりお高いところはごめんだが、かといっていつも最初にしけこむ喫茶店ではハルヒに見つかる恐れがある。
 これまでに入ったことがなく、ハルヒが急に乱入してくることもない、そこそこに洒落たカフェとか古泉だったら知っていそうじゃないか。
 ところがだ。
「えっ」
 と言ったきり、古泉は不自然にも沈黙した。どうした、何を固まっている。常にそつなくあらゆる要求をこなすお前らしくもない。
「……すみません、ちょうどいい場所を思いつきませんので、今度までに調べておきます」
「今度なんかあるか。じゃあそれはいいから、そうだな、前から疑問に思っていたんだが、お前のその服はいつもどこで買ってんだ?」
「……なぜそんなことをお尋ねになるのですか」
「ただの好奇心だ。決まったブランドとかあるのか」
「それを聞いてどうします」
「後学のために、か?」
 自分で言っていて最後に疑問符がついた。古泉と俺では服の趣味が違いすぎて、たとえショップを案内されたところでまったく後々の役に立ちそうにない。
 しかしまあ、こいつがどんなところで服を買っているのか気になるじゃないか。俺とは違ってユ●クロだとかタカ●ューだとかには一生縁がなさそうだもんな。かといって涼しい顔で高級なショップへなどつれていかれたら、それはそれでむかつくというものなのだが、あえてここは好奇心を優先させることにした。
 どうした古泉、これくらいはお安いものだろう。それともお前、まさか服を買うときは常に梅田まで出てるとか言わないよな。
「それはありませんが、しかし」
 なんだかわからないが古泉はいやに煮えきらない。なんだ、いったいどこにためらう理由があるんだ。まさかいまさら「謎の転校生キャラ」を演じるためにはすべての個人情報を秘匿しておくべきだとか言いだすわけじゃあるまいな。
「そういうんじゃありません。ですが、僕は……」
 隠されると妙に気になってくるのが人間心理というものだ。俺ははっきり言って古泉の服のブランドなんかにまったく興味はなかったが、むきになって言い募らずにはいられなかった。
「そんなに隠すってのは『機関』とやらがからんでいると思っていいんだな?」
 どうやらそれは古泉にとっての地雷であったらしい。
 ぴしりと音を立てて古泉の完璧スマイルにひびが入った、ような気がした。
 頼む、爽やかに笑った顔を維持しながら、目だけで飛び降り自殺中の人間が地面までまっさかさまに転落するときの暗澹たる感情を表現するのはやめてくれ。怖い。
「僕は」
 ぶるっといつのまにか固く握りしめられていた古泉のこぶしがふるえた。殴られるんじゃないかとひやひやしたが、そうじゃなかった。
「僕は」
 ずっと誰にも言えずにいたのだろう、思いつめた様子で一度口を開いたら、そこからあふれ出した言葉の分量たるやただごとじゃなかった。
「本当は、自分の外見なんかにはなんの興味もないんです。服なんかそれなりに清潔であればなんでもかまわないし、髪型だって見苦しくなければそれでいいと思っています。なのに僕はあなたたちの前ではどこにもつけいる隙のない完全な人間でいなければならず、相当に無理をしているのだと、以前あなたに話したこともあったように思いますが、おぼえていらっしゃいますか。それはたとえばこの形式ばった言葉遣いや学業の成績ややわらかな物腰や常に微笑を絶やさず涼宮さんには決して逆らわず、といった態度のことだけをさすのではありません。むしろそんな表面的なことならば偽装をするのもたやすいのです。僕は幼い頃から知的好奇心の盛んなそこそこ賢い子供でしたし、運動神経だって悪くはなかったのです。後者の面では僕に特殊な能力が発現した後、嫌でも閉鎖空間で鍛えられた部分もあるのですがね。それはさておきそもそもの僕は天文学が大好きな、比較的おとなしくまた地味な子供だったのです。色気づいて外見を飾ることに汲々とするよりも、ひとりで望遠鏡を覗いているほうがずっと好きだったくらいの、奥手で内向的な少年だったのです。そんな僕が、そもそもまったく興味もないというのに、ファッションや美食に詳しいはずがないではありませんか。あなたがお尋ねになったような洒落たカフェの場所など本当に知りませんし、たとえ知っていたところで僕にはそんな場所でのどかにお茶をするような自由な時間はほとんどないのです。服だってこれはすべて機関が僕に支給しているものですよ。こういうあまりいまどきではない恰好が、機関が僕に要求するイメージなのでしょう。ショップの場所はおろかどれほどの値段がするものなのかも僕は知りません。与えられたものを黙って身につけるだけなのです。住んでいるマンションだって、家具も最低限の生活必需品も、何もかも機関が用意したものです。この髪は一月に一度、機関に高級そうな美容室へつれていかれ、問答無用で整えられます。僕は、自分の生活のほとんどすべてを自分の自由にはできません。これだけ管理され、忠実に働いているのに給料なんかももらえません。家賃光熱費は最初から機関の負担ですが、それ以外に必要な食費やこまごまとした雑費はすべて経費として申請しなければなりません。僕はこの歳にしてスーパー主婦も驚くほどの綿密な家計簿を日々作成しているのですよ。おこずかいとして与えられる金額なんて微々たるもので、本当の僕は鉛筆一本買うのにも領収書をもらわなければならない立場なのです。あなたにわかりますかこの苦しみが」
 いや、すまん。よくわからん。
 というか俺は、あまりに滔々とつづく長たらしい陳情に、口をはさむ隙すら見つけられずに、ばかみたいに口を開けて茫然と聞き入ることしかできなかったのだ。
 とりあえず服は自分で買ってないってところと、この一見女にもてまくりそうなハンサムが、これまでまったく遊ぶ暇もなければそもそもそういう方向性の関心もない、おそろしいほどに地味で暗い青春を送ってきたらしいことだけは掴めたぞ。
 しかし俺がそれに対して何かリアクションをする前に、古泉はようやく我に返った様子でくちびるを噛んだ。
「すみません。お見苦しいところを見せてしまいました」
 自らを恥じるようにそっと伏せられた瞼はあまりに繊細で完璧な形をしていて、長い睫がそれを縁どり、まるでどこかのアイドル写真のような趣だった。しかし俺は女子ではないので、そんなところでごまかされたりはしない。
 こいつはこんな状況下でもまだ自分を取り繕おうとしているのだ。そうしろと命じられているからというのもあるだろうが、それ以上にこいつ自身、それが習慣になってしまっているのだ。なんて不憫な奴だ。
 あっくそ不覚にも俺は心底からこいつを哀れだと思ってしまっているぞ。どうしてくれる。なんだってこの凡人代表みたいな俺が、何もかもにおいて恵まれた天分の持ち主である古泉に同情なんかしなけりゃならんのか。
 だがしかし、今の古泉のうちしおれた風情を俺は放っておくことができなかった。うつむいたせいで急に存在を主張しはじめた、古泉の後頭部の小さな寝ぐせに気づくと俺は手をのばした。ぐしゃぐしゃとかきまぜるようにして、少し高い位置にあるやわらかな髪をなでつけた。
「寝ぐせ、直しといてやったから」
 おまえや機関の考える古泉一樹像にはどうせ寝ぐせはふさわしくないんだろう?
「ありがとうございます」
 古泉はじっとりした目で窺うように俺を見ると、やけに心細げな声でそう言った。

[20070810]