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The Change 1

 ベタだ。あまりにもベタだ。
 そう思いながらも、強制的に押しつけられた状況を常に黙って受け入れざるを得ないのがここ最近の俺たちの立場であり、文句を言うべき対象はほぼ判明しているものの、それをすると世界が崩壊するだのなんだの無茶苦茶なことを言って俺を止めるやからが三人ばかりも存在するので、俺は心に不平不満を抱きながらも、忍の一文字を胸に耐えるしかない。
「……しかしなあ」
「……困りましたね」
 俺と膝を突き合わせて困惑しきっているのは古泉一樹だった。その無駄に秀麗な面に苦悩の皺を刻んでいる姿はいつになく陰りを帯びて、さぞや深遠な哲学的疑問に頭を悩ませているのであろうと、全世界の乙女全般に絶大な威力を持って働きかけること間違いなしだ。
 ――とでも、いつもの俺なら表現しているところだろうが、あいにく今はそういう気にはなれん。ああ全然なれないね。
 そんな平凡極まりない顔で眉間に皺なんか寄せても、三日前に賞味期限が切れたパンをいじきたなくも食べた結果、腹痛で苦しんでいるようにしか見えんぞ、やめておけ。
「ひどいことを言いますね」
 古泉は顔を上げて俺をじっと見た。俺は少しばかり気味の悪い思いをしながらもそれを見返す。ええい怯んでいる場合か、こんなの毎朝鏡の中に見ている顔じゃないか。
「これは」
 そろりと古泉が手のひらで自分の頬のあたりをなでた。俺はまるで自分がそうされたみたいに落ち着かない気持ちになった。
「あなたの顔じゃないですか。自分で仰るほど卑下してはおられないはずですよ」
 古泉があくまできまじめにそんなことを言うので、俺はもぞもぞと足を組みかえた。
「だがなあ」
 俺は深くため息をつく。どうにもさまにならないのは事実で、本当いうと見ているだけで苦痛に感じた。
 俺の身体と古泉の身体がこうも簡単に入れ替わってしまっている現実という奴は、なかなかいかんともし難いものだ。
 しかもその原因というのがまたベタの極みときている。いまどき、廊下の曲がり角で正面衝突したくらいで誰でもほいほい人格交代していたら、社会は大混乱で日本は崩壊しているだろう。
 そうはなっていないらしいということは、これは俺たちに限定された、ごく局所的な事態であるということだ。
 よかった、と言っていいのかどうかは、かなり悩むところではあるのだが。
 とにかくすみやかに状況を理解した俺たちは、困り果てながらもとりあえず古泉の部屋へ避難した。ほかに人目のない場所といったらほかに思いつかなかったのだから仕方がない。
 それでまあ、互いに慣れない身体をぎこちなく動かし、なんとなく正座をして向かい合って話し合うこといまだ数分。困った困ったと言い合う以外に建設的な発言などは、互いにひとつも口にしちゃいない。
「これまでのパターンからして、この種の異常事態は丸一日である程度収まるものと相場が決まっています」
 俺の顔と俺の声をして古泉が言う。
「小豆相場並みに当てにならん予想だな」
 対する俺の声はひどく甘ったるくて、自分でも辟易とする。
「まったく見通しが立たないよりはいいでしょう。そんなわけで、あなたは今晩、ご自宅に帰らないほうがいいと提案させていただきますよ」
 俺はじっとりと古泉を睨む。その言葉の裏になにやら怪しい下心が隠されているんじゃないかと疑ってのことだが、古泉はそしらぬ顔で、俺の制服のポケットから携帯電話を取り出した。
「使わせていただいても?」
 質問の意図は明らかだ。俺が古泉の声で家に電話を入れるわけにはいかない。だったら古泉が、俺の声を使って俺の口調を真似して電話するべきなのだ。
 なんというか、むずがゆい状況だがな。
「余計なことは言うなよ」
「承知しました」
 安請け合いをした古泉は手早く俺の自宅の番号を押した。なんでまたそうすらすらとその番号が出てくるのかと問い詰めたい気もしたが、藪の中でせっかくおとなしくしている蛇だのマングースだのツチノコだのをつつき出す趣味はないので黙っておく。
「……ああ、母さん?」
 しかしながら、その一言から始まった古泉の俺なりきり電話は悶絶に値するできだった。巧いといえば巧いのだろう。一瞬俺の声を録音した音声を聞かされてるのかと思ったくらいだ。
 だが自分のものまねを目の前で見せられる気持ちというのを察してほしい。しかもそれがうんざりするほどよく特徴を捉えており、なおかつ身振り手振りや自覚のない表情まで的確に備えているときている。
 用件を話し終え、古泉が通話を切ると同時に俺は携帯電話をひったくった。
「もうおまえは絶対俺の電話を使うな」
「おや、そんなに似てました?」
 腹立たしいほどの飄々とした笑みを古泉は浮かべた。一応忠告しておくが、俺の顔にその表情は似合わん。
「おまえはこの芸を来年の隠し芸大会で披露すべきだな」
「いやですよ」
 思い切り軽やかに俺の提案をスルーして、一転古泉はまじめな顔で俺を見つめた。
「さて、最低限の火急の問題は解決されたわけですが、これからどうしましょうか」
「どうって」
 そんなことを言われても当惑するだけだ。SOS団のほうは長門に後を任せたし、俺たちには今、急いでやらなければならないことはない。普通に考えたらこれから晩飯を食い、風呂に入って寝るだけだ。
「あなたと僕は現在この密室にふたりきり、そして時間をもてあましており、なおかつ非常に興味深い状態にあると言うことができます」
 ちょっとまて。
 いきなり不穏な響きを帯びた古泉の声音に俺は遠慮のないしかめつらを返した。何を言いたいのかはわかったし、たったこれだけのヒントで見当がついてしまう自分にも頭を抱えたい気持ちだが、そんなことよりええいおまえはよくもこの非常事態にそんなのんきな発想ができるもんだな、どれだけ図太い神経をしてやがる。
「却下だ」
 バナナで釘が打てる程度の氷点下まで冷え切った声で俺は断じた。今ここに凍ったバナナがあるなら、これでもかいうほど相手をぼこぼこにしてやりたい。しかし実際にバナナはなく、そしてぼこぼこにされるのは俺の身体だ。今はよくても後から打ち身の痛みに苦しむのは俺だ。ということはだ、視点を切り替えてみると、俺は今自分のものになっている身体の方をぼこるべきなのか。それもまたひどくマゾっぽくて憂鬱だ。後が楽になるかわりに直近の痛みをとるというのでは本末転倒だ。
 はーっと深く深く俺はため息をついた。
 ようは、この人格入れ替わり現象が解消されるまで、俺は古泉がどれだけむかつくことを言おうとしようと殴りつけることはできないわけだ。もっとも俺と古泉とはそんなに熱苦しい熱血青春友情関係にはないので、日頃からして殴り合いの喧嘩などはしたことがない。これは本当だ。
「ため息をつくと幸せが逃げていってしまうそうですよ」
「逃げるのはおまえの幸せだからな、俺は知らん」
 のうのうとした平凡な顔に、せめて胸がすくまで悪態をついてやろうかと心を決めたときだった。
 ふいに、俺は妙なめまいを感じた。突然自分を取り囲んでいる空気の質が変化したかのように、皮膚の上がぴりぴりとし、同時にざっと鳥肌が立つ。身体と精神が分離して、精神のほうだけがうしろから引っ張られているような感覚とでも言えば一番ぴったりだろうか。もう一息で幽体離脱が体験できそうだ。
 そんな感想はさておき、そのとき俺の着ていた制服のポケットから、携帯の鳴る音が響いた。
 さっと古泉の顔色が変わった。
「貸してください」
 その真剣さに気圧されて、俺はおとなしく携帯を渡した。古泉は液晶画面に険しい視線を向けてから、「古泉です」とだけ言って電話に出た。といっても声は明らかに古泉のものではないのだから、通話の相手も困惑したに違いないのだが、それは事態の緊急性がすべてを帳消しにしたらしい。手早く会話をすませると、古泉は俺に鋭い目を向けた。
「すでにおわかりかもしれませんが、閉鎖空間が発生しました」
 ああ、そうだと思ったよ。
「これは困った事態です。本来なら僕は一刻も早くその場に駆けつけ、神人を倒さなければならないのですが、今現在その能力を持っているのはあなたであり、僕は単独ではあの空間の中に入ることすらできないのです」
「今回だけは欠席ってわけにはいかないのか」
「偶然にも人手が足りないそうで……」
 少しばかり申し訳なさそうに声が細る。まあそうだろう。古泉だって好き好んでこんな状態のときに閉鎖空間に乗り込みたいとは思わないはずだ。俺も正直言ってぞっとしない。
 しかし、行かないというわけにはいかんのだろうな。なにしろ世界の平和のためだ。なんて無駄に壮大なお題目なんだ。自分が行けばなんとかなるとわかっているときに、世界の崩壊の危機を放置して家でごろごろ寝ていられる奴がいたらお目にかかりたい。
 そして古泉はこのやたらと重い責務を、三年も昔のガキの頃から律儀に引き受けてきたってわけだ。
「わかった、俺が行く」
 ため息をつきつつ俺は応えた。行くといっても、何をどうすりゃいいのかさっぱりわからんのだがな。
「僕がお教えしますよ」
 古泉は立ち上がり、俺に手をさしのべた。さすがにその手を気色悪いと言って拒絶することはできなかった。

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[20080217]