GAME d
ゲームが先か、アイテム提出が先か。
これは意外に重大な問題かもしれないと俺は思いはじめていた。
なぜなら古泉の奴が意外に精神的にもろく、アイテム絡みで過去や思い出に関わる話が出てくる度にひっそり動揺し、その後のゲームがいつにもましてぐだぐだになっちまうからだ。
まあ先にゲームを片づけたとしても古泉の弱さは鉄板なので、結果的にはあまり変わりがないのだが。
それにしても古泉はゲームに弱い。本当に弱い。
ただいま四連敗中で、これに負けたら五連敗だというのに安定の劣勢を見せつける盤面に古泉はそっと桂馬を置いた。
本日のゲームは将棋。選んだのは古泉で、何か策でもあるのかと思いきや全然そんなことはなかった。
「もう少し本気を出せと言いたいが」
「あいにくとこれが」
「おまえの本気だってんだろ、わかってるさ」
俺は盤面をじっと見つめた。わざと負けてやるほどお人好しではないが、一方的な戦いほどつまらないものもない。ハルヒすらそろそろ退屈そうにしてるじゃないか。いや、ハルヒを楽しませてやる義理はないのだが、それにしたってこのままじゃ面白味がない。
ちらりちらりと部室の様々なところに視線を投げた。何か現状を打破するいい手だてはないかと考えて。
窓際で本を読んでいた長門がふいに目を上げてこちらを見た。そのまま特に音声でも動作でも意思表明はなかったが、大丈夫だ長門、おまえの言いたいことは目でわかる。
俺はうなずき、椅子の背に腕をまわして朝比奈さんに身体を向けた。
「朝比奈さんすみません、ちょっとこの続きを俺のかわりにお願いできませんか」
「ふえっ?!」
小柄な上級生は熟読していたリリアン編みの教本を取り落としそうになりながら一センチほど飛び上がった。どうでもですいいけどリリアン編みって今の時代にどんな需要があるんですかね。
「あ、あ、あたしルールを知りません」
「むしろそれがいいんですよ。適当に駒を選んでくれたらあとは俺が動かしますから」
「えっえっ、でも」
「俺がやるとあと三手くらいで終わっちまいそうなんで、お願いします」
本気で拝み倒す勢いで言うと、朝比奈さんは困惑した目で俺ではなくハルヒと古泉を見つめた。振り向くと古泉はさすがに少し傷ついた顔をしていた。
「いいだろ?」
「かまいませんけどね」
一応肯定しちゃいるが、口調は明らかに不服そうだ。ちらりと罪悪感がきざしたが、このまま放置すればいつも通りの結果に終わるのが目に見えている。俺はそろそろ変化がほしいんだ。
最終的な判断をしたのは古泉でも朝比奈さんでもなくハルヒだった。なんだって見てるだけの奴にそんな権限があるのか不明だが、鶴の一声ならぬ団長様の一声は超局所的に絶大な威力を持っている、らしい。
「しょうがないわね、やっちゃいなさいよみくるちゃん」
少し離れた団長席からテンション低くハルヒは言った。
「古泉くんがこの劣勢をひっくり返すことができるのか、少しだけ気にならないこともないわ。いい、みくるちゃん。キョンはね、負けてあげたいのに自分じゃできないものだからみくるちゃんを頼ってるの。だから下手を打っても全然みくるちゃんは悪くないし、むしろ感謝されるべきなくらいなの。どーんとやっちゃいなさい」
そんな言わぬが花的なことを堂々と全部口に出さなくてもいいだろうに、本当に気遣いというものの足りない奴だ。
だがそこまではっきり明言されてはじめて朝比奈さんはやる気になったらしいので結果オーライだ。とりあえずそう思っておこう。
決して気乗りした様子ではないがおずおずと朝比奈さんは俺が譲った席に座った。こわごわ将棋盤をのぞきこむが、まるっきり理解できた様子はない。むしろそれこそ望むところだ。
対する古泉は微妙な不機嫌さをたたよわせつつも、どこか不遜な目つきで盤面を睨んでいる。俺と対戦してるときには見せたことのない顔だ。おっとこれは本気でここから巻き返すつもりだぞ。
やっと面白くなってきた。
いちいちルールを説明する手間を省いて、朝比奈さんには一番好きな駒を選んでもらった。それが動ける範囲を示して、どこに置きたいかをさらに尋ねる。先の計算のないまったく無秩序な動きだ。
しかし。
たったの三手で勝負は決した。俺が自分でやったとしてもここまで効率的にはできなかったかもしれない。
王将をとられた古泉はまさに信じがたいという顔をした。悔しいと感じるはるか手前で茫然としていた。朝比奈さんは事態が把握できずにきょとんとしている。団長席ではハルヒががたんと立ち上がった。
「みくるちゃん、すごいじゃない!」
まあ確かにな。神がかった打ちようだったことは認めよう。偶然とは、無欲とはおそろしいものだ。
さすがにショックを受けている古泉をなぐさめてやりたくなったが、こういう事態を招いた張本人としてはいくらか気が引けた。すまん。悪かった。まさか追い打ちをかけることになるとは予想できなかったんだ。
だがその言えなかった部分の気持ちはハルヒが代弁してくれた。
「落ち込むことないのよ古泉くん。こんなの象を相手に一匹の蟻がどれだけ戦っても勝てないのと同じことなんだから。それに途中から選手交代ってのも悪かったわね。最初からだったらまた違う結果になったんじゃないかしら」
それはそうかもしれん。うむ、と俺がひとつうなずいたときにハルヒはふと考えるそぶりで顎のあたりに指を寄せ、きらりと目を輝かせた。
「だから古泉くん、明日はあたしがキョンのかわりに勝負をするわ。もちろんはじめから。どうしても古泉くんがキョンに勝てないっていうのが腑に落ちないのよね。そこのところも分析してみたいと思ってたの。いいでしょ?」
いきなりまっすぐ目を向けられて俺はとっさに返事ができなかった。俺は別にかまわんが、頭脳の出来から考えて、ハルヒが俺よりゲームが弱いってことはないだろう。つまりまた古泉はこてんぱんに負かされて、いっそう深いどん底に落ちていく羽目になるんじゃないのか。それは果たして救済になるのかね。
古泉はしかしさすがのイエスマンだった。肺でも患っていそうな弱々しい声で、かまいませんよと返事をした。俺もうなずき、つつがなくハルヒの提案は受け入れられた。
「そういや、今日はDの提出日だったよな」
ゲームが思いがけない方向に突っ走っちまったせいで忘れかけていたことを指摘すると、古泉は力ない笑みを浮かべて鞄をごそごそやった。取り出したのは細長い紙製の箱で、おもむろにそれを開くと中から銀色のプラスチックに包まれた何かを取り出した。
「Drop。のど飴です。少々喉が弱いもので、常備しています」
そうかと言って受け取ったが、どことなくもの悲しい感じがしたことはあえて黙っておこう。
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[20120101]